久しぶりに驚いた!

救急車 健康

先日、夫の代わりに久しぶりに四十九日法要に出席しましたが、法要の後に会食していたら、久しぶりにとても驚きました。

短い時間だったけど、意識をなくした男性

座敷で食事をいただいて、そろそろデザートが出る頃に、突然座敷の扉の外側からズドンと重い音が響きました。何か重たいものを落としたのかと思ったら、人が倒れた音でした。倒れたのは私の家のご近所に住む65歳の男性で、ちょっと昼間から飲み過ぎたので、タバコを吸ってくるといって喫煙所に行った帰りだったそうです。

一緒にいた人が助け起こそうとしましたが、完全に意識を失っていて、抱えられても手足はダランと垂れ下がり、力が入っていないことが一目瞭然でした。その場にいた人は全員脳の疾患を疑ったのでしょう。すぐに救急車が呼ばれましたが、それが到着する前にその人は何ごとも無かったかのように意識を取り戻しました。

本人は救急車は不要だと何回もいいましたが、周りの人たちは、倒れたところを実際に見ているわけですから、救急車が不要だとは思えませんでした。その人は一人暮らしをしているため、もし自宅でもう1度同じことが起こったら、と誰もが不安になってしまったのでしょう。

結果は異常なし!だけど…

結局、周りにいた人たちが、検査をしてもらうように倒れた本人を説得して、救急車に乗ってもらいました。その後倒れた男性が、私の自宅まであいさつに来てくれました(多分近所の人のところは全部あいさつにまわったのでしょう)。検査の結果は異常なしだった、今日は申し訳なかったとだけ短くいって帰ってしまいましたが、私は今でもスッキリしない気持ちでいます。

倒れた人は、もともと痩せていましたが、同居していたお母さんが亡くなってから余計に痩せたように感じられました。本当にどこも異常はないのかと、疑うような気持ちになってしまったのです。

病気でなくても、大変なこと

私の娘は2人とも思春期の頃には、脳貧血で倒れたことがあります。本当に意識を失ってしまうので、顔から倒れてケガをしたこともありますし、路上で倒れて警察に保護してもらったこともあります。そのときは私も随分心配をしたつもりでしたが、実際に人が倒れるところを見るとかなり心境が違うことがわかりました。

今回のことで、人が意識を失ってしまうことの重大さがよくわかりました。たとえ原因に大きな病気がなくても、倒れるときと場合によっては大事故につながってしまいます。

もし自分が危ない、と感じたら

倒れる人は、他人からの気遣いを申し訳なく思うあまりに、つい「大丈夫」といって普段どおりに振る舞おうとしますが(今回倒れた人もずっと大丈夫、といい続けていました)、それはよくないそうです。目の前が暗くなってきた(白くなる場合もあるそうです)などの症状を感じたら、自分から座る、しゃがむなどの安全な姿勢を取るようにしてください。

意識を失って倒れる様子は、本人が思っているよりもずっと危機感を覚えるものです。周りの人たちが慌てるのは当然の反応です。 どうか、周りの人たちを悲しませないように、 ぜひ、気遣いを受け入れて、自分の安全を守ってください。

私も娘たちが倒れるたびに、もし駅のホームで倒れていたら、もし道路で倒れたところに車が来たら、などと考えて恐ろしい思いをしていました。本当に大きな病気が隠れていないか、健康診断なども受けておくとよいですね。

みんながいたから、よかった?

今回のことも、1人でいるときに倒れるよりも、みながいる四十九日の席で倒れたことはかえってよかったのかもしれません。これで近所の人たちが彼の健康状態を気にするようになったのですから。

私が住んでいる地域では、自治会の班の仲がよくて、昔は親戚のような付き合いがあったそうです。だからこんなことも、仏様のはからいなのかな、などと考えてしまいます。

コメント

  1. はじめまして。
    ランキングから来ました。

    倒れる前にまずは知らせる。
    大切なことですね。

    以前、私も倒れてしまったことがあるのですが、
    私も大丈夫大丈夫って言っていたなと…。(-_-;)

    知らせることの大切さを改めて知れました^^

    • yumikoneko より:

      りんりんかっかさん、はじめまして。
      お体はもう大丈夫ですか?

      周りの人が倒れると心配です…
      私も驚きましたが、倒れた人に何ごともなかったことがわかって、
      やっと安心したところです。

      ぜひ、りんりんかっかさんも気を付けてお過ごしください。
      つたないブログですが、ぜひまた遊びに来てくださいね。
      コメントありがとうございました。

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