新年早々、失くなっていて驚いたものとは?失うことで、ないがしろにされていると感じるが…

生活

私は積極的に年賀状を出しません。それでなくても孤独感を覚えやすい性質なので、もう何年も会っていない人の年賀状に「今年こそは会いたいね」などと書いてあるのを見るだけで、白々しいと思い、寂しい気持ちになります。

それでも年賀状を受け取ると返事(?)は出します。今年も元日に少ない枚数ですが、年賀状を受け取りましたから、その分だけは出そうとポストまで歩いていったのです。

あったはずのポストがない!

我が家の近くにはポストが2箇所ありました。どちらも歩くと5分以上かかります。1つのポストは距離は少々近いものの、国道を横断する必要があるのが面倒です(信号を待つのが面倒です)。

もう1つのポストは距離が遠くなりますが、我が家から1本道で信号もありません。それで昨日は1本道の方を選んだのですが、そろそろ見えてくるはずのポストがいつまで経っても見えません。

もしかすると…とは思いましたが、一応ポストのあった場所まで行って確かめたところ、ポストは撤去されていたのです。個人商店の傍らに立っていたポスト。キレイに撤去されて店の傍らはスッキリと片付いていました。

夫にそれを話したところ、その個人商店は店を閉める予定があるのではないかと言っていました。店を閉める前に、周りもキレイに片付けているのでしょうか。

大体、最近は郵便ポストを使う人も減っているような気がします。集荷に来ても中身がないポストなら、ない方が郵便局員の方も手間が省けるというものです。

考え過ぎかもしれないけど…

しかし、今まであったものが失くなるというのは、寂しいものです。私が住んでいる地区では、金融機関も失くなりました。最初はATMだけになり、数年でそれも失くなったのです。

別に隣の地区に行けば良いので、ものすごく不便というわけではありませんが、何だか自分たちがないがしろにされたような気がします。ポストが失くなったことも、同じような気持ちを感じるのです。

今回失くなったポストが立っていた個人商店は、もともと地域のお年寄りを相手にした店でした。自分では車を運転できないけれど、自分の目で確かめた商品を買いたい、自分で孫にお菓子を買ってやりたいというお年寄りのために頑張って店を開けていたのです。

それも失くなるなら、ますます私が住んでいる地域からはいろいろと失くなり、運転をしない人にとっては、住みにくい場所になっていくのでしょう。実際に失くなったのは1つのポストですが、それはこの地域で失われた様々なものたちの象徴なのかもしれません。

ちなみに次女はそのポストをよく利用していたそうで、残念がっていました。メルカリで小さなものを発送するときには、そのポストに投函していたそうです。残念と思う気持ちを次女と分かち合うことができたようで、その点は少し嬉しかったです。

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