昨日、夫の従兄弟が訪ねて来てくれました。従兄弟は夫が世話になった叔父と叔母の息子で、昨年は両親が相次いで亡くなったため、とても大変だったと思います。今年のお盆は新盆で忙しく、従兄弟は我が家に来ることができませんでした。
それで少し遅れて昨日、お線香を上げに来てくれたわけです。従兄弟の妻はうつ病のため、現在入院中です。昨日は病院に行った帰りだということでした。
従兄弟の妻はまだ入院中
私たちが新盆で訪ねて行ったときに、すでに妻は入院中だったので、もう1ヶ月が経過したことになります。私からはなんと言って良いかわからなかったので、「そうですか」と言っただけでしたが、従兄弟はポツリポツリと語りだしました。
電話で話している分には、普段通りだと思っても、実際に顔を見るとかつての妻とはかなり変わってしまったこと。目が虚ろで、自分で自分のことを「あまり良くない状態だ」と言っていること。長男に面会に行ってもらったら「見ているのが辛い…もう行きたくない」と言われたこと。
そして未だに命の期限を自分が決めてしまったことに囚われていること。どんなにそれが当然のことだったよ、仕方のないことだったよ、俺だって同じことをしたと思うと伝えても、妻の気持ちは軽くならないこと。
親に肯定してもらえれば…
いくら親本人が「無理な延命措置はしないで」と言ったとしても、それが元気なときに言ったことなら、どこまで本気にして良いのか、私でも考えてしまいます。かつてはそう言ったとしても、今このときは違うかもしれないからです。
本当はもっと生きたいと思いながら、それが伝えられない状態かもしれない、そんな中で自分の子どもが「父(または母)は無理な延命措置はしない方針でしたから、それでお願いします」と言っているのを聞いて、絶望的になっているかもしれない…と私も考えたことがあります。
親に「あのときはあれで良かったんだよ」と言ってもらえれば、少しは気が晴れるかもしれませんが、もう親は亡くなってしまっているため、それはかないません。従兄弟の妻にしてみれば、いくら夫にあれで良かったのだと言われても、自分の気持を立て直せないのでしょう。
従兄弟の妻はストレスとなることから、絶対に離れられないわけです。ストレスの源は命の期限を決めた自分です。自分は自分から絶対に逃げられません。
時間が解決するしかない?
しかし、私に限って言えば、母が亡くなってからの日々はあっという間に過ぎ去りました(来年でちょうど10年経ちます)。母に関する辛いこともめっきり思い出さなくなっています。どんなに辛いと思っても、日にちが解決するはずです。
従兄弟の妻も来月元気になるとは思えませんが、きっと10年後には落ち着いているのではないでしょうか。まあ、こんな事をいうと、とても無責任な気がしたので、ただ従兄弟の話を聞いただけでしたが…
家族の誰かがずっと入院している状態って、やっぱり嫌ですよね。表面上は病院にいるんだから安心だと思っていても、どこか落ち着かないです。その気持もとてもよくわかるのですが、気の利いたことは何も言えなかった私です。
※今回、オリジナルバナーを作ってみました。これ、長女が描いた「ゆみこねこ」なんです。