昨日は節分の日でした。2月2日が節分なのは早い気がします。ただでさえ、月日は早く過ぎ去っているのに、2日にもう節分だと思うだけで一段と月日の過ぎるのが早まるような…
私の実家では節分と言えば豆まきでした。母が煎り大豆と一緒にキャラメルなどをまいてくれるのが、それは楽しみでした。弟と競うように豆やお菓子を拾っていたのを今でもよく覚えています。
大声が嫌だった夫の豆まき
現在住んでいる家は、夫の実家の敷地内です(私の実家とは同じ市内になります)。この土地には昔ながらの風習が残っているようで、豆まきのときは一家の主があらん限りの大声で「鬼は外、福は内」と叫びます。
今、考えると大きな声で邪気を払うというような意味があったようですが、初めて聞いたとき、私は驚いてしまいました。もし、私の実家でそれをやったら、必ず苦情が来ると思うほど夫の声が大きかったのです。
私はつい「やめてよ、恥ずかしい」と言ってしまいました。夫は「豆まきって言うのはこういうもんだ。大きな声でないと意味がないんだ」と返答。豆まきを続行しようとしましたが、夫が声を発するたびに、私が「うるさい、やめて」と言うので、ついに夫も諦めてしまったのです。
以来30年、今でも夫はたまに思い出したように、昔の豆まきの話を始めます。そして「今は誰も豆まきをしないのかな。どこからも声が聞こえないよ」と言います。
きっとどこの家でもお父さんが「うるさい」と言われたのでしょう。そう考えるとなんだか可哀想な気もします。それで食事の面では夫の言う事をきいて、毎年節分にはけんちん汁を作っています。
夫のためにけんちん汁を作っている
夫の家では昔から冬至や節分には、けんちん汁を食べてきたそうです。けんちん汁は鎌倉の建長寺発祥の汁物なので、本来は精進料理らしいのですが(だから豆腐が入る)、夫の家(市内に昔から住んでいる農家の方々も)では豆腐だけでなく豚肉が入ります。
私は10歳のときに市内に引っ越してきたのですが、最初は一家で混乱しました。特に母は『これは豚汁ではないのか?でも、豚汁には豆腐が入らないだろうし…』と思ったようで、混乱の度合いも強かったようです。
私も今でも気を抜くと自分で作ったけんちん汁のことを「豚汁」と呼んでしまうほど、けんちん汁に思い入れが少ないのですが、豆まきを諦めた夫のためにせめてけんちん汁くらいは提供しようと思っています。
けんちん汁で思い出す人
ところで夫の祖母が生きていた頃は、まるで炊き出しに使うような大きな鍋でけんちん汁を作っていたため、私が作ることはあまりありませんでした。飽きるほど食べると誰も手を出さなくなって、最終的には祖母が捨てていたようです。
晩年の祖母は食が細くなって、せっかく作ったけんちん汁も自分ではあまり食べなかったのでしょう。私も祖母が2度も3度も「けんちん汁、いらないか?」と言ってくれるのを断った記憶がありますが、ずいぶん、罪深きことをしたものです。
ですが、そのおかげで祖母の味は私にしっかりと引き継がれたのだと思います。ああいうものは、たくさん作るほど美味しいのはわかりますが、私は2日くらいでなくなる量を心がけるようにしています。
けんちん汁でも豚汁でも冬になってすぐの頃は、気持ちが盛り上がっていて食べる人たちも「わあ!」と言わんばかりの顔をして食卓についてくれますが、節分過ぎる頃からは、どこか当然といった感じになりますね。
私自身も『美味しいんだけど、飽きたな…』と感じるくらいですから、家族がそう思っても仕方がありません。でも、こう感じると冬ももう長くない証拠ですね。
今日は立春です。お昼にけんちん汁をいただこうと思っています。
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