あるブログで紹介されて読むようになっていたブログ。
ブログを運営していた吉野美香さんは私と同い年です。2009年に乳がんと告知されてから、ずっとがんとともに生きていました。
淡々と生活する姿に感じたもの
日々のブログはそれほど長いものではありませんでしたが、日々のあれやこれを綴っており、本当に普通の生活を送っているのだな、と感心しながら読んでいました。
私の母もがんを患っていましたが、78歳を過ぎて発見されたにもかかわらず、あっという間に進行してしまいました。進行とともに母は正気を失いました。毎日、病院に行く私とも話が通じず、病院の職員の方々のことは敵対視していたのです。
食べることもできなくなり(何がご飯かわからない、と言ってました)、他の人とのかかわりを一切拒んだ母(看護師さんに布団をかけなおしてもらっただけで、「触らないで!」と叫んでいた)。今でも人生の最後に楽しいことが何かあったのかな、と思っています。
私はそんな母を見ているのがとても辛くて、怖かったです。母が変わってしまったことが怖かったのか、自分もそうなる可能性があると思って怖かったのか、よくわかりませんが。
だから美香さんができる限り、日常生活を大切にしている様子は私にとっては明るい希望に感じられました。美香さんのブログを読んでいると、最期の日まで自分らしく生活できる可能性は0ではないことが感じられたのです(まあ、運もあるでしょう)。
このままブログが続けば良いと思ったが
美香さんのブログ記事、最後は看護師さんたちへの受け答えが苦しいという内容でした。ただ首を縦横にするだけでもすぐに苦しくなるとのこと。
それをご自分のワガママと茶化して記事はおしまいになっていました。まったく日常の一コマふうにかかれた文章に、私は『へ~、そうなんだ。それはそうだよね』と思っただけで、すぐに次の記事が読めるものと思っていたのです。
今、思うとすごい状況でこの記事は書かれたことがわかります。肺もお腹も水でいっぱい、圧迫された状態では、ただ横たわっていても溺れているようなものではないでしょうか。とても苦しいことが想像できます。
その中でブログの文章を考えて、実際に投稿するだけでも大変なことなのに、深刻な状況を茶化すことで読む人の重荷にならないようにしている…本当にすごい女性だったのだと思います。
終わりが来るのはわかっていましたが、日常的な文章を毎日読んでいると、このまま終わりは来ないのかも…などと思っていました(ブログでは実際に顔が見えないので、余計にそんなことを思うのでしょう)。
終わりは突然にやって来るのですね。数日の空白の後、記事を書くのが突然美香さんのご主人に変わりました。そして、美香さんが亡くなったことを知ったのです。
闘病生活のブログはたくさんあるが
かつて闘病生活をテーマにしたブログを読み、あまりにもドラマティックな展開に違和感を覚えたことがありました。
今考えると、あれは「もうすぐ終わるぞ~、ここからがクライマックスだぞ」とブログが言っているようなもので、それが読む人に違和を感じさせたのでしょう。
嘘かもしれないと感じたブログでは、闘病生活が嘘なのか本当なのかばかりが気になりました。ドラマを見ていて、ちょっと先のストーリーが気になるのと似てますね。
しかし、美香さんのブログを読んで、私は亡くなるその日まで生きたいなと思ったのです(あまりに当然?でも大切ですよね)。
吉野美香さん、今までありがとうございました。ブログ、オーナー(ご主人のこと)への愚痴(共感!)を含めて楽しかったです。もう、ブログが更新されないのは残念ですが、心より御冥福をお祈りします。


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