昨日、いつものスーパーに買い物に行って会計を済ませたときのことです。私と同年代の女性が母親らしき人と一緒に買い物をしているのを見かけました。
母を怒る娘
そう言えばパンの売り場でもこの2人を見たな…と思ったのは、娘と思しき女性がずっと母親らしき人を怒っていたからです。
「勝手にどっか行かないでよ!」
「私が荷物を袋詰めするから、ばあちゃんは触らないで!」
「何にもしないでって言ってるでしょ!」
ついには「ばあちゃんと一緒にいるとイライラする!もう、一緒に来られないよ」と言っているのを聞いて、何だか胸がズキンと痛みました。
これはばあちゃんが亡くなった後で、絶対に後悔するやつ。どんなに後悔しても、もう遅いやつです。その女性ほどではなかったけれど、私にも似たようなことをした記憶があります。
入院した母は急に「今日は何日?何曜日?」と何回も私に聞くようになりました。そんな母に対して私は「今日は〇月〇日、〇曜日だよ。なんで何回も同じことを聞くの?」と答えたことがあります。ときには「さっき言ったばっかりでしょ」などと言ったことも。
そのときの母が病気だということは私も理解していましたが、まさか母が自分がいつ、どこにいるのかを見失っているとは思いませんでした。
母の死後に後悔した娘
母の死後、入院時に持ってきていた手帳に震える字で”今日は〇月〇日、〇曜日”と何度も書いているのを見つけました。
そのときやっと『お母さんは今がいつだか、自分がどこにいるかわからなくて心細かったんだ。だから、安心したくて何度も私に聞いてきたんだ』とわかったのです。何度も私に聞かないように、一生懸命に手帳に書き留めたのだとも思いました。
それがあのときわかっていたら、もっと答え方があっただろうと思います。しかし、あの時誰かに言われたとしても、私は決して素直に受け取らなかっただろうし、これは仕方のないことなのかもしれません。
母が亡くなって、今年でちょうど10年経ちました。もう、母のことを思い出しても胸が痛まないくらいにはなっています。しかし、最初の2~3年は思い出すたびに胸が痛んで、辛かったです。
スーパーにいた女性も同じ思いをするのかと思うと、それを考えるだけで辛い気持ちになりましたが、これもまた仕方がないですね。まあ、あの女性が絶対に後悔するときまったわけではないし。
自分の力以上に精一杯にやっているときって、後悔なんかしないものですよね。
どうやら母親らしき人は認知症のようで、あれほど怒られても袋詰めが終わって帰るときには、自分から嬉しそうに娘と手をつないでいました。それを見ていると何だか2人は大丈夫という気がしてきたのです。
母親を怒っていた娘は、苦笑いしていました。多分複雑な心境ですよね。昔はしっかりしていたであろうお母さんがかわいらしい娘のようになっているのですから。2人を見ていたら、祈るような気持ちになりました。
どうか2人とも辛い思いをしないように。
娘さんは後悔をしませんように。
まあ、みんな順繰りですよね。近い将来、私も娘たちに冷たくあしらわれるのかもしれませんが、自分がそうした以上はそれを受け入れようと思います(まあ、そのとき私がどう思うかはわかりません。怒りながらあの世に行くのかもしれません)。
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