昨日も夫と一緒にドラマ「しあわせは食べて寝て待て」を見ました。
昨日、登場したのはベジタリアンになりたい女性。実家の母が心配で近くに住むことにしたものの、母の食へのこだわりが嫌になってしまったと悩んでいます。
肉を食べないとダメというこだわりが重荷?
女性が重荷に感じる母のこだわりとは、男の子(女性には弟がいて、母と同居しています)は肉をたくさん食べないといけないとか、食事は手作りでなくてはいけない、というものです。
女性は毎日、自分は食べたくない肉を買って調理をしているうちに(母は腰を悪くしているため、一時的に女性が変わって食事を作っていたようです)、肉を見たくもなくなってしまったとか…
女性は昼間仕事をしており、仕事が終わってから買い物をして、母と弟のために調理を担当していたのですが、自分の食べたいものも食べられないと言うのでは、せっかく手間暇をかけて調理をする甲斐もないというものです。
食事を作る人の好みが反映できれば、親子3人で楽しく食卓を囲むこともできるでしょう。
肉を食べてはダメと言われるのも重荷です
私が中学生のとき、父が脳出血の発作で倒れ、生死の境をさまよったことがありました。母は「食生活がいけなかったんだ」と言い出し、肉や魚を一切食べないと宣言。もちろん、その宣言は私と弟にも適用されました。
まあ、だからドラマの中の女性とは逆ですね。まだ食べ盛りだった私と弟はもちろん、宣言には大いに反抗しましたが、数週間野菜だけの食卓が続いたと思います。そんな食卓で私は段々と箸が進まなくなりましたが、母自身もそうだったのでしょう。
数ヶ月後には食卓はほどんど以前の通りに戻ったのです。つまり肉を食べろと言われるのも、食べるなと言われるのも、他から強制されるという点で同じなのです。
食べることについて、どんなことでも強制されるのは、みんな嫌なのです。一緒に食卓を囲む相手とは、強制なしで済む関係性でいたいですが、自分が良かれと思って言うことが相手にとって強制にならないとは限りません。
強制するつもりはなくても
ドラマの中で女性の母は女性に対して「全然食べていないじゃない。お肉食べないとダメよ」というようなことを言っていましたが、これは決して強制ではなく、1日働いて疲れているんだからちゃんと栄養を摂って欲しいという思いやりから出た言葉だったと思います。
しかし、女性には母の言葉が重荷になる…肉を食べる・食べないは本当はどちらが良いとか悪いとかの問題ではないはずです。どちらにも良い点も悪い点もあるのだと思います。
食卓を囲む者同士が、譲り合ってちょうど良い折り合いをつけられると良いのですが…
人って自分が基準ですから、他の人の食への姿勢は変わっているとか、おかしいとか思いがちなのではないでしょうか。自分も他の人から見たら変わっているかもしれないのに。
大人になるって食卓を囲む仲間を見つけることかも
人が大人になって実家を出ていくとき、同じこだわりを持って食卓を囲める仲間を見つけるため、という理由があるのかもしれませんね。
ベジタリアンになりたい女性は、どうやら食卓を囲む仲間を見つけたようです。団地を巣立って行く日も近いのかもしれません。
夫はドラマを見ながら「ああ、やだやだ!食べることにいちいちこだわる人って、気味が悪いよね」と言っていました。私からしたら、夫だって十分にこだわっていて鬱陶しいです。何にでも豆板醤(料理によっては胡椒、辛子、ニンニクになることも)をかけるところとか…
私にはどちらでも良いことなので、何回聞いても何に豆板醤がいるのか、胡椒がいるのか覚えられません。私と夫は食卓を囲む仲間作りには失敗したのかもしれないです。
ドラマの中くらいはしあわせな食卓があると信じて、次回もまた楽しませてもらおうと思います。


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