母は髪型が崩れないように、白髪が目立たないようにこまめに美容室に通っていました。実家があった団地の中に、行きつけの美容室がありました。
母の髪の毛まで考えなかった
母よりも少し若い人(現在70代の半ばだと思う)が1人で切り盛りしている小さな美容室でしたが、母は亡くなるまで通っていました。その美容師さんも同じ団地に住んでいて、私や弟よりも年下の男の子がいました。預け先がないときには、母がその子を預かったこともあったそうです。
母は79歳のときに、ガンに罹っていることがわかりました。そのときにはもう手遅れの状態で、歩くこともままなりませんでした。それなのに、入院する前に、母は美容室でカットをしてもらいました。歩くこともままならないのだから、母の髪の毛のことまでは私はまったく考えていませんでした。
車で送り迎えをしてもらった!
美容室に電話をして、髪の毛を切りたいけれど、歩けないのだと伝えたら、美容師さんが自家用車で迎えに来てくれたそうです。帰りも実家まで送ってくれたそうですから、昔なじみというのはよいものだと思いました。美容師さんも、母の電話に何か感じるところがあったのかもしれません。
とてもさっぱりして気分がよくなったと母は喜んでいました。それからすぐに入院して、1カ月ほどで亡くなりました。葬儀には遠方に住んでいる母の妹たちが駆けつけてくれました。対面したときに、よいお顔だね、相変わらず髪の毛もきちんとしている、といってもらうことができました。
身だしなみは大切!
母は美容室で髪の毛をカットすることで、辛い闘病中に気分がよくなり、亡くなった後も妹たちに見苦しくない姿を見せることができました。人間にとって自分の身をさっぱりとさせておくことは、大切なのだと実感できました。
今から思うと美容師さんにお礼の言葉を伝えればよかったです。母が亡くなった後は、一周忌だ、三回忌だと忙しくしていましたし、それが終わったと思ったら実家に行くことがほとんどなくなってしまいました。その後、弟が結婚して新居に引っ越しました。実家はなくなり、実家があった方角に足を向けることもなくなりました。
私も早くさっぱりしたい
今回緊急事態宣言の中でも、理美容室は生活に欠かせないため、自粛要請はしないことになりましたが、私にはよく納得できました。せめてこのブログに書くことで、理美容室がとても大切な存在なのだと改めてお知らせしたいです。
今、私は理容室(私はもともと理容室派です)に行くことを自粛しています。かなりうっとうしい髪型になっているので(母が生きていて、私を見たら、きっと嘆くと思います)、一層大切さがわかったように思います。コロナのことを気にせずに、髪の毛を切りに行ける日が早く来て欲しいですし、その日を楽しみにしています。
コメント
こんにちは。
良いお話でした。涙が零れそうになりました。私の母も、全く同じだったからです。
母は90歳の誕生日を入院中に迎えてそのひと月後に肺がんで亡くなりましたが、ずっと行きつけの小さい美容室があり、週に一度セットに行く人でした。
12月の始め頃、母はいつものようにセットに行き、私は車で迎えに行ったのですが、よくして貰った美容師さんに「いつも有り難うねぇ、これで最後かも知れないから」と言いました。私たちは冗談だと思い、笑って「またまた~」と。
その月のクリスマスの日に母の肺がんが発覚しました。
美容師さん姉妹がお通夜に来てくれ、泣いて下さいました。約40年近くのお付き合いでした。
昨日は母の日でしたので、そんなことを思い出していたら、この記事を拝見したのでまた書かせて頂きました。
きっと葉月さんもそうだと思いますが、母が亡くなってから、母の日はどこかほろ苦いものになってしまいました。
でも、亡くなった人を思い出すのが一番の供養になるといいますから、きっと私の母も葉月さんのお母様も幸せですね。
いつもコメントありがとうございます。
では、また。