私も無茶だった

生活

夫の弟が無茶だったとか、全財産が10万円しかなくて心配だったとかいろいろと書きましたが、実は私も独身時代、転職をしようとして全財産が10万円ほどしかなくなり、内心とても焦った経験があります。

突然会社を辞めたけど

大学卒業後、趣味の切手を販売する会社で働いていましたが、あるとき同期の女性と私ではボーナスの査定が違うことに気付きました(もちろん私のボーナスの金額が低いのです)。ショックで先輩社員に相談したところ、こう言われました。

彼女は会長のお気に入りだもの。仕方がないわよ。

どんなに努力をしたところで、お気に入りにかなうわけはないと言うのです。それを聞いたときは、悔しいとか悲しいではなくて、何だか力が抜けて、どうでもいいやという気持ちでした。そして私のことを誰も知らないところで、もう1度だけやり直して見たいと思うようになりました。

当時、私は今の夫と付き合ってはいましたが、結婚ということには躊躇していました。かと言って仕事の面でもなかなか手応えがなく、何となくイライラした毎日を送っていたところに、自分は同期の女性よりも査定が低いのだとわかり、本当にその職場にいるのが嫌になってしまったのです。

普段の私なら、次の職場を決めてから退職を考えますが、そのときは本当に後先を考えていませんでした。何の根拠もなく3~4カ月もあれば次が決まるだろうと思いこみました。その時の貯金は50万円より少し多いくらいだったと思います。

すでに一人暮らしをしていましたが、3~4カ月は保つだろうと予想して退職願を出してしまいました。当時私は26歳。自分ではまだやり直しが効く年齢だと思っていたのです。とにかく嫌になってから会社を辞めるまでは自分でも素早い行動だったと思います。

予想に反して就職先は決まらなかった

ところがかなりの数の面接を受けても、私の就職先は決まりません。どれくらい面接を受けたのかはもう覚えていませんが、当時こんなことを言われたのを覚えています。

26歳じゃ、あなたが女子で最年長になってしまうんですよね…

年齢が上の人に仕事を教えるのは、やりにくいって女の子は嫌がるんですよ。

当時は1980年代の終り頃、決して不景気と言うわけではなかったと思います。そんなに大企業を狙っていたわけではなかったのに、1つも合格が出ないことで私は少々焦り出していました。手持ちのお金が少なくなってくると、面接に行くための交通費までが惜しく感じられるようになります。

交通費や食費を節約するためと称して、私は自分の部屋に閉じこもるようになりました。そしてそのうちに昼夜逆転の生活になり、酒を飲む量も格段に増えてしまったのです。

昼過ぎに起きて、酒を飲みながら深夜テレビを見る生活を送っていましたが、あまりの自堕落さに自分で嫌気がさしました。そして当てずっぽうに選んだ会社に履歴書を送ってみました。外資系のコンピュータ製造業の企業がコールセンターのスタッフを募集していたのです。

危ういところで救われた私

筆記試験を受けにこいと言われたときも、自分では絶対に受かるわけはないと思っていました。何しろ外資系のために、英語の問題の量が半端なかったからです。しかし、予想に反して私は採用されました。昼夜逆転の生活が身についていた私には入社手続きをするのも大変な苦労でしたが、青い顔をしながらも何とか切り抜けました。

その会社では、女性でも年齢は一切問題にされなかったため、本当に救われたと感じました。そのとき手持ちのお金は10万円ほどでした。家賃を払ったら後はどうしようかと考えていたときだったので、危ういところだったと思います。

自分では前向きな決断をしたつもりで退職をしましたが、結果として私は身を持ち崩す寸前だったと言えます。就職はできましたが、今考えると運が良かっただけでした。夫の弟も精神も肉体もかなり困った状態になってしまいましたが(ついでに金銭面も)、彼には運もなかったのでしょう。

ちょっとしたことで人生は変わってしまいます。でも、悪い方だけでなく良い方に行くこともあるはずです。目の前に良いことが転がっていても、人生が悪い方へ流れていくときには、その良いことが見えなくなっているのかもしれません。

私だってこれから何があるかはわかりませんが、なるべく良いことを掴みそこねないように生きていきたいと思います。しかし、今でもあの頃のことを思い出すと、もう終わったことなのに、ハラハラしてくるのです。夫の弟はどんな思いでしょうか。

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