断舎離の難敵はすぐ近くに

生活

我が家のダイニングテーブルは、この家を建てたときから同じものを使っているので、もう27年ともに過ごしてきたことになります。

ダークブラウンの木製で、どちらかと言うと重い印象です。夫が自分で選びました。収納が少しでも多くなるようにと、本来ならテーブルの脚の部分は観音開きの収納ボックスになっているものを選んでくれました。

意外に不便なダイニングテーブルの下

ところが、この収納はあまり使い勝手がよくありませんでした。中のものを取り出すときは、わざわざ座っている椅子から立ち上がり、屈んでドアを開けなくてはならないからです。

最初はティッシュなどをしまっていてのですが、ティッシュがなくなるたびに(なぜかティッシュは食事中になくなることが多いのです)面倒な思いをするので、段々とテーブルの下には普段は使わないものをしまっておくようになりました。

最終的にテーブルの下が定位置となったのは、子どもたちが幼かったころの膨大な写真の数々です。これはあまりにも場所をとるため、最初は納戸にしまっていました。しかし、納戸を掃除するたびに、写真を収めたアルバムのすぐそばにゴキブリが死んでいるのに気が付きました。

心なしかアルバムも汚れているようでした。私は、このままではアルバムをすべて捨てることになると思い、ダイニングテーブルの下に収めれば、良いと考えたのです。

それに家族が必ず毎日集まるダイニングテーブルの下に収めれば、少しはアルバムを眺める時間が増えるのではないかとも考えました。

思い出のアルバムを忘れていた!

それから何年が過ぎたでしょう。正直、アルバムを眺めたことはほんの数回、それもかなり昔の話です。多分ここ10年くらいはアルバムを見ていないばかりか、存在そのものを忘れていました。

つい先日、本棚の中の本を半分以上処分した勢いで、このアルバムをなんとかしようと、久しぶりにダイニングテーブルの下の扉を開けましたが、中は大変なことになっていました。扉が付いているからと油断をしていましたが、中のアルバムはホコリまみれで、雑巾で拭こうとするだけで咳やくしゃみが出る始末です。

ここまで放って置かれたアルバムはもはや役目が終わっている、私はそう考えましたが、問題はアルバムは私1人で作ったのではないことです。家族全員の思い出を私1人が処分できるはずもありません。以前写真を処分したいと、夫に相談したところ、すごく反発されました。

じゃあ、そもそもなんで写真を撮ったんだよ。写真を撮ったのは俺たちなんだから、責任を持ってずっと保管しようよ。家族の思い出を捨てるとか、信じられない!

私としては、その時はその時、今は今です。その時は写真を撮って、現像したのを眺めて楽しかったけれど、もうそれで気が済んでしまいました。だから、役目が終わったものは早めに捨てておきたいと思ったのです。しかし、無理に捨てて、仲違いをするのも私の本意ではありません。

思い出は厄介だ

だからせめて、アルバムについたホコリを拭い、収納の中もキレイにします。そして、微妙に写真を減らしたいと思います。あくまでも写真を選別して良いものだけ残すという名目なら、誰からも文句は出ないのではないかと思います。大体10年以上も誰も見ていないアルバムですから、数を減らしたところで誰も気が付かないのではないでしょうか。

断舎離のときに、ネックになるのはやはり思い出です。また使うかもしれないから捨てられない、という言葉には「使う時に買えばいいよ。今はもっと良いものが売っているよ」と答えることができますが、思い出には太刀打ちできません。

思い出はそこらで買ってこれないし、代わりになるものがないからです。夫は祖母の家を解体する時に、すべて思い出がなくなったらかわいそうだと、弟のアルバムを取っておいた人なのです。私は何度も、弟はアルバムのことなんか忘れていると思うから捨てようと言ったのですが、夫はこれくらいのものを取っておいても罰は当たらない、お前は冷たいと言うばかりでした。

しかし、思い出のものはほんの少しだからこそ、価値があるのかもしれません。少しだけなら、いつでも取り出して眺められますから。それに価値のある思い出は記憶として自分の中に残っています。そんなに思い出の品にしがみつかなくても大丈夫だと私は思うのですが、どうでしょうか?

とりあえず今日の私は思い出の品を処分するのではなく、選別してより良い思い出の品にするために頑張ろうと思っています(本当は全部捨てて、収納の中を空っぽにしたいです)。本当は選別するために頭を使うのが、面倒くさいです。

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