もともと料理は好きではありませんでした。特に献立を考えるのが苦手というか面倒で、なんとか避けたいと思っていたため、行事食はできる限り取り入れるようにしていました。おせち料理とか、クリスマスとかその日だけでも食べるものが決まっている方が楽に感じられたのです。
どんなことも義務になると辛い
夫は日頃からよく食べますが、行事のときには「〇〇を食べよう!だから買い物のときにはあれを買って、これも買って…」とことさら張り切ります。すると、1回でも行事食をパスすると夫ががっかりするのではないかと思ってしまい、何だか最近は行事食が義務のようになっていました。
その行事の前から計画を立てて買い物をしなくてはいけないし、時には行事食のためだけに臨時で買い物に行くなど負担も感じていました。行事食と言っても、1年にそんなにあるものかと思われるかもしれませんが、我が家では各自の誕生日、正月、クリスマスに加えて冬至や節分、ひな祭りなども行事になっています。
冬至、クリスマス、正月が終わってホッとしたと思ったら、節分、長女の誕生日が続きます。1つの行事にかかる負担はそれほどではないかもしれません。例えば節分にはけんちん汁にイワシの丸干、お稲荷さん、長女の誕生日にはケーキを買って、夕食には長女が好きなパキスタンのカレーをテイクアウト。ひな祭りには桜餅と草餅(決まった店のでないと夫が文句を言うため面倒くさいです)、夜はちらし寿司にはまぐりのお吸い物。
娘たちが幼い頃には私も張り切っていましたが(行事食が思い出になると思っていた)、もう長女が30歳になりました。もともと得意でない料理を30年間頑張ってきたのです。そろそろフェードアウトしたいと思ってもバチは当たらないような気がします。
やむを得ず行事食を作らなかったが…
実際に今回、年末年始はコロナに感染して、おせち料理どころではありませんでした。それでも材料は揃えてあったので、お雑煮を作ったりしましたが、次女は一番具合が悪い時で、ほとんど口にすることができませんでした。
しかし、別におせち料理を食べなくてもちゃんと新年はやって来ます。節分の頃も私がカゼを引いていたせいで、煎り大豆もイワシも買いませんでしたが、節分が過ぎてしまえばそんなことは忘れてしまいます。それは何だかあっけないくらいでした。
夫からは行事のときに「今日は〇〇の日だよ。夜は何を食べるの?」などとわざわざメッセージが来たこともありました。私はそれを圧力と感じていましたが、自分自身も行事食を作らなくては、と義務感でがんじがらめになっていたのかもしれません。
私は行事食を辞めてしまうと、家の中が寂しくなってしまうのではないか、などと考えていたような気がします。そこは夫よりも娘たちの目を気にしていたのだと思います。娘たちに『お母さんは年を取って、手抜きになった』などと考えてほしくなかったのでしょう。
面倒になっても仕方がないと思う
しかし、年を取ったら体力も気力も落ちます。昨年までの私はほとんど薬とは無縁でしたが、今年は様々な薬を服用するようになりました。もう、年を取って手抜きになったと思われても良いような気がします。面倒なことは早目に手放さないと、これからあと20年生きるととしても、きつくなるでしょう。
この後はひな祭りです。あ~あ、考えただけでも面倒くさい…今年はおひな様も義務感だけで出したような気がします。これが終わると今度はお彼岸が来るんですよね…こんなに面倒くさいのは、コロナの後遺症でしょうか?