どの医師の言葉を受け入れるのか、結局は自分の責任にかかってくると自覚した

メンタルクリニックの医師 健康

先日、6年間通院した眼科を変えたという内容で記事を書きました。

自分と同じ経験をした人が身近にいた

新しく診察を受けた眼科からの帰り道、地元のお米屋さんでお米を買ったのですが、そこの若奥さんも私と同じ体験をしていました。やはり私が通っていた眼科でドライアイの診断を受け、3種類の点眼薬を処方され、毎月瞳孔を開く検査をされて、とても大変だったと言っていました。

「目の中にたくさん細かな傷がついている」と言われ続けたところも同じでしたが、その奥さんは4~5カ月で音を上げて、他の医院に変えたと言っていました。別の医院では、それほどひどい状態だとは思わないと言われ、点眼薬の種類は減ったということです。

私は別に今まで通っていた医院の医師が、不当な治療をしていたとは思いません。きっとかなり慎重で丁寧な医師なのでしょう。ときとして正しい意見は聞きにくいことがあるように、慎重派の医師のいうことは受け入れられないことがあるのだと思います。

医師のいうことを受け入れるのも入れないのも自己責任

今回のことで、眼科の医師が同じ症状の患者を診察しても、その医師によって治療法は違うのだということがわかりました。私の年代だとお医者様の言うことは絶対だ、と思ってしまいますが、その言う事を受け入れるのも入れないのも、間違いなく自分自身がやったことです。

私は眼科を変えたことで点眼薬の種類が減り、通院の手間も省けると喜んでいますが、ある医師の言うことは受け入れ、別の医師の言うことは拒絶したわけです。その結果として、目の中に何か不都合が起こったとしてもそれは私の責任ということになります。

通院先を変えることは、私自身の責任でしたことです。私はこのことを忘れないようにしたいと思っています。

自分で責任を持つなら何をしても自由だと思い出した

私が6年間通った眼科は、現在住んでいる地域に初めてできた眼科でした。だから、この地区全体のお年寄りが通っていると思います。行くとかなりの頻度で知り合いに会うし、眼科の話が出ると大多数の人がそこに通っていると言います。

このため医師の言うことは絶対、という雰囲気が濃いのは確かです。薬剤師さんまでが医師に気を使っていました。競合する他の医院でもあれば、また違うのかもしれません。私も近所の眼科はそこしかないと思うあまり、他の眼科に行くのをためらいました。白内障の手術が必要になったとき、近所の眼科に行けないのは困るなどと考えていたのです。

何だかおかしな話ですよね。なってもいない白内障の心配をして、別の眼科に行けないなんて。でも、それも勝手に私が思っていたことです。自分の責任だと自覚さえしていたら、どの眼科に行こうとそれは私の自由だということをやっと思い出した気がします。

若い頃、医師の診察を受けてもちょっと合わないと思うと、コロコロと病院を変えていました。診察券だけがやたらとたまっていたのを覚えています。あのときの私には自分が医師を選び、身体のことを託すのだという責任感はなかったような気がします。

何があっても医師が何とかしてくれるという、丸投げの態度でした。今の私は違うぞ、と思っていますが、果たして本当に違うでしょうか。少しは成長しているのでしょうか。成長していて欲しい…と願ってはいるのですが。まあ、ちょっと話が大げさになりました。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ PVアクセスランキング にほんブログ村

よろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました