私は基本、家に閉じこもって生活をしています。もともとの性格のせいもあるし、最近のコロナ禍のせいもあります。出かけるのは、食料品を買い出しに行くときだけなので、それ以外のものが必要になると時折困ってしまいます。
最近は何でもネットで手に入れることができますが、どうしても自分で手触りや履き心地を確かめたいものというのがあるものです。
なくても死にはしないけど
最近は、寝具関係が軒並み古くなってしまって、買い替えたいと思っていたのでした。特に私が今まで使っていた毛布はすでに27年が経過しており、縁はすべて破れてなくなっており、材質は固くなり、その上変色までしている代物でした。
特にその毛布に愛着や思い入れがあったわけではありませんが、私が厚手の毛布を使うのは、最近では季節の変わり目だけになっていたため(真冬は羽毛布団だけで良い、と言うか上に毛布を重ねると暑いです)、古い毛布だけでも何とかなっていたのです。
夫が「買いに行きたいなら、連れて行くよ」と何度も私に言いましたが、私としては別に好きで買い物に行きたいという気持ちではないわけです。毛布が古いのは少々嫌だけど、買い物に行きたいわけではない、恩着せがましく連れて行ってあげると言われる所以はないと思っていました。
毛布だって、まだ使おうと思えば使えるため(もう使えない毛布ってどんなでしょうか?)、古くなって嫌だなと最初に思ってから、すでに4~5年は経ってしまっていました。大体、毛布がなくても、死にはしませんから、急いで買う必要はないと思っていました。
しかし、昨日は嫌だな、気が進まないな、と思う気持ちに蓋をして無理やり出かけてみました。すると、何だか気が晴れたのです。
食料品以外のものを買うのが気分転換になる
考えてみれば、食料品を買いに行くのは私の仕事のようなもの、半ば義務です。だからこれで気分転換をしようがないわけです。しかし、食料品以外のものを見て回るのは、気分転換になったように思いました。
私ももしかすると、家の中ばかりに居て、娘たちのように気持ちがドンドン内向きになっていたのかもしれません。そうして、ストレスを溜めていたのではないかと思います。
毛布を買った帰りには、本屋の中をブラブラして、気になっていた本を手に入れることができました。そう言えば、私は以前は図書館に通って暇つぶしをするような人間だったのをすっかり忘れていました。目的もなく本屋の中をブラブラするのも、とても久しぶりでずいぶん贅沢な時間を過ごしたような気がしました。
気持ちがスッキリして明るくなってくると、夫のことも恩着せがましいと思っていたのが、私に気分転換をさせてくれようとしたのかな、などと良い方向に解釈できるようになりました。
自分で自分の気分転換を阻んでいる?
どんな人間でも、気分転換は大切だとよくわかりました。暗く沈んでいる、これが自分だと思っていても、意外なことで明るくなれるのかもしれません。しかし、怖いのは肝心の気分転換を阻むのもまた自分だということです。
私は買い物に行く前に、本気でこう思っていました。
別になければないで済むものを今日急いで買いに行くことはないよね。面倒くさいし、お金は減るし、わざわざ行くだけバカバカしいような気がする…行くの止めようか…
誰しも自分の希望通りに生活したいと思っています。義務や強制はできれば回避したいと思うのが当然です。しかし、自分で自分の気分転換を阻んでいることがあるように、いつも自分は正しいとは限りません。
たまには、自分の希望と違うことがあっても、甘んじて受け入れてみる勇気が必要ではないでしょうか。実は私、他にも人の言うことを聞いて良かった、と思った経験があるのです。これはまた記事にしたいと思っています。
ちなみに新しい毛布はニトリで買いました。早速使いましたが、軽くて柔らかいので、体にピッタリ沿って隙間ができず、温かいです。昨夜は毛布1枚で安眠することができました。グズグズ言っていないで、早く買ったら良かったです。