子どもを産みたくなかったという投書に思う・真面目な人ほどそう考えるのではないか?

生活

今朝新聞を読んでいたら、「産まない自由をもっと尊重して欲しい」という内容の投書が載っていました。投書をしたのは30代の女性で今までに一度も子どもを欲しいと思ったことがなかったそうです。しかし、それを口にすると、親からも夫からも、自分勝手だとか異常だと決めつけられてしまいました。

そして周りからの言葉に流されるようにして女性は妊娠、出産をして現在は生まれた我が子をかわいいと思えない、と辛い気持ちを投書に綴っていました。

子どもを産むときは、そんなに考えなくてはならないのか

読んでいると、私まで辛い気持ちになってしまいましたが、私も含めて世の中の人間の何割が子どもを持つことについて真剣に考えたか、と考えました。

私たちの年代より前の世代の人間(50代~60代よりもっと上です)は、ある程度の年になれば、結婚して子どもを持つことが普通という風潮の中で、それ以外の生き方を考えることもなかったというのが本当のところではないでしょうか。

子どもの育て方にしても、今のように厳しくなかったように思います。私たちが子どもだった頃は、今なら虐待と言われるようなことがしつけと称して公然と行われていた時代でした(私も掃除のジャマだと言う理由で、犬のように柱につながれたりしていました)。

生き方を選べなかった代わりに、深く考えずに子どもを産んでも何とかなったのではないかと思います。

産みたくなくても仕方がない?

しかし、少子化が進むにつれて、子どもへの対応が変わっていきます。子どもは何も考えずに産んではいけない、愛情を持って育てるべき存在に変わりました。ジャマだから柱につなぐなどは言語道断となったのです。

だから、現在出産適齢期を迎えた人たちは私たちの何倍も考えなくてはならないでしょう。子どもがまだこの世に存在しないうちから、自分が一生子どもに対して愛情を注げるのか、十分な教育を受けさせられるのか、健康を守ってあげられるのか、などを考え抜かなくてはならないのかもしれません。

そんな圧力がかかることを誰が望むでしょうか。若いうちほど、自分が妊娠・出産することをイメージするのも難しいでしょう。私は現在の若い女性たちが子どもを産みたくないというのは、無理もないと思ってしまうのです。

私にはお勧めできません

ただ、私が妊娠・出産、そして子育てをしたことで得たものがあるのも事実です。それを今は成人した娘たちに知ってほしいと思うこともあります。しかし、私が得たと思っているものはたまたま得られたものだったのかもしれません。また、得たと思って自分を納得させているだけかもしれない、そう考えると私は誰にでも、子どもを持つことを勧めることは怖くてできないのです。

孫の顔が見られないのは寂しい、とは子どもに結婚や出産を急かすときの常套句ですが、これも私には疑問です。今まで見ていた孫の顔が急に見られなくなるのは寂しいでしょうが、もともといないなら寂しいというのはおかしなことです。

これは寂しいのではなくて、他人に孫がいるのが羨ましいのではないでしょうか。確かに、孫に恵まれた家庭は幸せの象徴のように感じられるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。孫が生まれたら生まれたで不安や心配のタネになることもあるでしょう。

つまり私は自分の娘たちを含めて若い人に結婚を勧めることもなく、子どもはかわいいわよ~、などということもなく、ただ静観しているだけの中高年になっていますが、それでは投書をした女性は苦しいままです。

どんなことにも慣れると思う

彼女は出産をしたことで現に苦しんでいるわけですが、私はどんな状況にも人間は慣れるということを伝えたいです。自分が好きで結婚した相手ですら、結婚した当初は違和感があるのではないでしょうか。私は少なくともそうでした。それが長い時間をかけるうちに、親や兄弟よりも近い間柄になったわけです。子どもに対しても同じことが言えると私は思います。

自分の身体から出てきた存在でも、最初のうちは知らない人です。女性の子どもはまだ1歳ということですから、知らない人の域を出ていないのです。慣れ親しんで行くのはこれからのことです。今の時点で感じていることがすべてではないと思います。だから、どうか焦らずに少し待ってみて、と私が女性の親なら言うでしょう。そしてできるならば、自分が大人なのですから、子どもに歩み寄ってあげて欲しいと思います。

周りも支えて欲しい

そして女性の夫に対しても、子どもを産みたくないと考えていることも含めて、自分が愛した女性なのだということをもう一度思い出して欲しいです。その女性を自分が選んだのですから、子どもを産みたくないと言われたとき、そんなのは異常だ、で片付けることは間違いです。

なぜ女性がそんなことを思うようになったのかを理解するとともに、自分はなぜ子どもが欲しいのかをわかってもらうように努力するべきでした。それはこれからでも遅くないと思います。夫婦の間で考えの違いを認め、溝を埋めるためにはどうしたら良いのかを考えたら、後は子どものいる生活に慣れていけば、きっと苦しい思いもいつかは思い出になるのではないでしょうか。

いつ慣れるか、本当に慣れるのかは誰にもわかりません。でも、気がついたら『ああ、そういえば苦しいときがあったな』と思い出せるようになっているような気がします。後から思い返すと、出産後1年って、まだまだ身体は回復していません。産んだ人は赤ちゃんにも手がかかるため、自分で思っている以上に疲れています。

疲れているときには、あまり良い考えも浮かびません。交通事故にあってひどい怪我をした人は、すぐに夜勤の仕事に復帰しないでしょう。しかし、育児に限っては、ボロボロに身体が回復しないうちに、夜も寝ずに仕事をするのです。投書をした女性が、どうかきちんと休んでこの難局を乗り越えるだけの力を蓄えられますようにと願わずにはいられません。

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