母の遺影を思うと、今日が一番若いというのに納得できる

遺影 生活

私の母が亡くなったのは79歳のときでした。かねてから遺影に使って欲しいという写真がありましたが、それがずいぶんと若い頃のものだったのです。多分60代前半だったのではないでしょうか。葬儀に来る人は面食らったようで、中には「あら、ずいぶんと実物と写真が違うわね」とはっきり言う人もいました。

若く見える遺影にこだわった母

その写真を見せられたとき、まだ母はしっかりした状態だったので、私もつい「こんなに古い写真を使わなくても…」と言いましたが、母は私に対してこう言いました。

お前の家でもずいぶん若いときの写真を使ったことがあったじゃない。それで良いんだったら、私だってこの写真を使っても良いと思うわ。

実は我が家に敷地内同居していた祖母には姉もいました。私たちが家を建てる前に姉は寝たきりになり、入院してそのまま帰ってくることはありませんでしたが、亡くなったとき葬儀は夫の実家で行ったのです。

ほとんど家から出ることなく生活していた祖母の姉は写真を取る機会も少なく、亡くなって慌てて探しました。ですが、80代なかばで亡くなったのに、写真は50代の頃に撮ったものがあっただけだったのです。

仕方なくその写真を使いましたが(だって他にないのですから仕方がありません)、母はそれを見て妙に「これでも良いんだ」と納得していました。私は他にも写真があるなら、なるべく最新版を使う方が良いと思いましたが(やはり葬儀に来る人が訝しむだろうと思いました)、母は自分もなるべく若いときの良い写真を使いたいと言って聞かなかったのです。

実際に母が亡くなったとき、一度は弟と遺影はどうしようかと話しました。しかし、病院通いをして疲れていたせいもあり、もうこれでいいか~、ということになってしまいました。一から遺影を選ぶのはそのときの私と弟には少々重荷だったのです。

60代の母はとても若いと感じた

だから遺影の中の母は私と年がそれほど違わないということになります。それが亡くなったときの母の顔と比べると驚くほど若くて綺麗です。私よりは少し年上のはずなのに、若くて綺麗なのです。

今、私は57歳。毎日鏡を見るたびにうんざりするし、どこか悪くなるとこれも年のせいだと感じてイライラします。でも、母の遺影を思い出すと、57歳は通過点にすぎないのだな、と感じます。79歳に比べると60代はとても若い。だから私はもっと若いわけです。

私はいつも、今日が最高齢と思って生きていますが、なるほど今日が一番若いのも真実です。そう思って生きた方が、少しはポジティブになれるでしょうか。

しかし、母も中高年の頃は、いろいろと体調や外見の変化に文句を言っていたと記憶しています。それを過ぎると今度は本当にいろいろと不具合が出てきました。私もこれからまだまだ大変だろうな、と思うと少しビビってしまいます。やはりポジティブになるのは、私には難しそうです。

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