3月は去ると言われているけど、まったくそのとおりだと感じる今日この頃

3月 季節

雛祭りが終わったばかりのように感じますが、もう11日になってしまいました。今日、東日本大震災が起こってからちょうど11年が経とうとしています。

もうすぐ春のお彼岸も来るし、やっと1年が通常モードで滑り出したような気がします。

私が住んでいる地域では、そろそろ自治会の会合が復活するそうです。もちろん飲食を伴う懇親会などは開きませんが、役員の顔合わせはこの4月(つまり来年度)から復活させると昨日連絡をいただきました。

春とともに変化のときが来ている?

みんなおっかなびっくりですが、少しずつ前の生活に戻ろうとしているのでしょう。私が年金をもらうようになる頃には、コロナ禍の記憶が薄れてきているかもしれません。この春という季節の力もあって、皆が新しい1歩を踏み出して行こうとしているような気がして、私も自分なりに普段とは違う行動を取るようにしています。

先日、親戚の誘いにのって、外出したのも(これは2月でしたが)その1つだと自分では思っています。

このときは女性5人(1人は講師)でマクラメ編みのブレスレット作りをしました。当日は帰りが遅いと、夫とひと悶着ありましたが、後日、そのときに一緒だった人と偶然近所のしまむらで出会い、再開を喜ぶというおまけがありました。

私はもともと一人で過ごすのが苦になりません。友だちと呼べる人もいないため、コロナ禍の前からほとんど自粛生活と同じような状態でしたが、さすがに人間との触れ合いを喜ぶ気持ちになっていたようです。

それは若い頃のような、さあ、誰かと友だちになろう!とか楽しくおしゃべりしよう!などという気持ちとは違う、もっと自然なもののような気がします。春になると木の芽が出て、花が咲くのが当然ですが、そんな感じで自然と偶然の再開を笑顔で喜べる気持ちになりました。

変化が変化を生む

そんな自分の変化があったから、次女をメンタルクリニックへ連れて行こうという気持ちにもなりました。私はずっと次女が自分でメンタルクリニックに行く(あるいは行きたいから連れて行ってと頼む)のが当然だと思っていたし、また、そうでなければ自分で這い上がれないと思っていたのです。

また、20歳を過ぎた次女をメンタルクリニックに連れて行くことが、私には過保護で恥ずかしいことのように思えました。しかし、ここに来て私自身がとても頑なになっていたのだと思うようになりました。1度位は次女に親としてできることをやってみよう、もっと本腰を入れて向き合おうと思うようにもなったのです。

多分私はメンタルクリニックに行くだけでなく、これから次女がアルバイトを探すとき(そんなときが来れば、ですが)も付き添うと思います。次女のような人間が受け入れてもらえる場所を探すのは難しいのかもしれませんが、ハローワークなどにも同行して、次女が少しでも働ける場所、家庭(次女の場合はほとんど自室ですが)以外の居場所を探すつもりです。

もちろんすべてがうまく行くとは思いませんが、何もやらないよりはマシなのではないかと思っています。少なくとも私の気が済みます。私が見てわかるような変化をしたわけではありませんが、確実に私の中が変わったようです。これも他人と触れ合ったからこその変化でしょう。

やっと他人と触れ合うことの意味がわかったかも

私はずっと勘違いをしていたのかもしれません。他人と触れ合い、違いを感じることは孤独感を深めることではなく、自分の今の状態を知ることだったようです。私が今の自分を知り、これではダメだと変えることで、また何かが変わるかもしれません(まあ、変わらないかもしれませんが)。これから、それを楽しみにして行きたいと思います。

私の状態は以前と全く変わらず、孤独なままですが、気持ちだけは随分違います。こんなこともあるのですね。今まではいくら年を重ねても結局同じだと、うんざりするような気持ちでしたが、今は来月にはどんなことがあるか、楽しみになっています。

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