物を捨てるのか、思い出を捨てるのか

生活

今日、燃えるゴミを出すときに、座布団を1枚捨てました。10年以上前にニトリで399円だったものです。新しい座布団が5~6枚欲しくて、夫と2人で買い物に行ったときに試しに買ってみようということになったのです。

座布団を捨てました

当時でも、399円という値段は座布団として最安値でした。だから、もしダメでも仕方がないという気持ちで8枚ほど買いましたが、確かにヘタるのがとても早かったです。1年しないうちに座布団の厚みは半分以下になりました。

だからその時買った座布団はすでに半分以上捨ててしまいました。今回捨てたものも、暑さは1cmほどしかなくなっており、座布団とは思えないほどカチカチに固くなっていました。

たとえ安い金額でもお金を出して買ったもので、まったく使えないというほどではなかったので、家族で我慢をして使いましたが、特に夫はかなり文句を言っていました。文句を言うのが夫の性質ですが、この座布団の場合には購入したときの事情が関係あるような気がします。

座布団への文句が出る理由

実は新しい座布団が必要になったのは、我が家が自治体の班長を務めていたときでした。私が住んでいる地域は人口が少ないので、毎年班長を替わっているとすぐに次の当番が廻ってきます。だから班長は2年任期ですが、任期の終わりに次の班長を決める会議を班長の自宅で開かないとなりません。

2年も班長をやってお疲れ様と言われるのではなく、次の班長を決めるために現班長が夜に班員(基本的に家長を招くので、男性がやって来ます)を自宅に招かないといけないのです。班員は我が家を除くと7件あるため、新しい座布団が7枚必要だったというわけです。

大騒ぎで足りないものを買い、当日の食事の心配もしなくてはならないので、かなりの負担を感じましたし、当時まだ中学生と小学生だった我が家の娘たちは不満顔でした。娘たちにすれば、いつもゆっくりくつろいでいるリビングにドヤドヤおじさんたちが入ってくるわけですから、居心地も悪かったでしょう。

大体自治会の班長は、もう当番になっています。必ず誰かがやるのですから、わざわざ会議をして決める必要があるとは思えません。きっと昔の娯楽が少なかった頃に、誰かの家に集まる口実としてこんな集まりがあったのだと思います。

夫は、負担を感じる割には実りの少ない集まりへの不満が、座布団に対しての文句として出てしまったのだと思います。

座布団を捨てて、文句を言う気持ちも捨てたけど

座布団を使い切り、1枚ずつ捨てることで文句を言いたい気持ちも捨てられたように思います。これも我慢して使ってきたからこそだと思います。ろくに使いもしないで捨てたら、少しは後悔の気持ちが残ったのではないでしょうか。

しかし、物を捨てることで嫌な思いが捨てられるなら、いただきものを捨てたら、相手の気持ちも捨てることになってしまうのでしょうか。それを考えるとちょっとヒヤリとします。

やはり、物はまだ使えるなどと思いが残ってしまうものを捨てるべきではないのでしょう。捨てるべきだと納得できるものを捨てるようにしたいです。

たくさん捨てて学んだこと

私も子どもの成長とともに、サイズアウトした服や学用品、おもちゃなど、かなりの量のものを捨ててきました。自分が独身時代に着ていた服もほとんど捨てました。その中に破れたり壊れたりしたものはなかったと思います。胸が痛みましたが、取っておいても仕方がないので捨てました。

そして学びました。捨てると心が痛む、そして心が開放される、どちらもあり得ます。捨てて心が開放されるためには、捨てるべきものを捨てることが必要です。まだ使える、まだキレイだと心が残るものを捨てると、自分の心が痛みます。きっと小さな傷ができています。

捨てると言っても量が多くなれば、それは1つの労働です。大変な仕事になります。苦労して捨てて、心が痛むのではたまりません。そうならないためにも、捨てるべきものを捨てることが大切になるのでしょう。

ニトリの名誉のために

最後に座布団の話に戻りますが、399円で座布団を作れば、すぐにヘタったところで文句は言えないと今は思っています。決して粗悪品ではなく、値段なりの働きをしてくれました。

夫は普段安物を買って間に合わせる人ではありませんが、集まりへの負担感や不満などが、買い物をする気持ちを曇らせたのかもしれません。これはニトリのせいではなく、明らかに私たち夫婦のせいだったのです。

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