食事の支度をするとき、何を優先しているかは人それぞれです。私はあるブログを読んでいて、どんなものを用意するにしても、食べるもので人間ができるのだな、と実感しました。そのブログがよんさんが書いている「days」です。
ブログを読んでスッキリした空気を感じる!
ブログには写真がたくさん使ってあります。散歩をしているときの風景だったり、家の中や庭の様子だったり、そしてごはんとオヤツがあります。
ブログを読んでいて感じるのは、スッキリした空気が流れているような感じです。余分なものがない、でも寂しくないという感じと言えば良いのでしょうか。
私はごはんの写真を見ているときに、一番その空気を感じた気がします。私はいくつかのごはんの写真を見たときに、自分の作る食事には言い訳がたくさんあることを感じずにはいられませんでした。
自分の言い訳に気が付く
「days」に登場するごはんの写真は皿がいくつも並んでいるわけではないし(注:決して悪口ではないことをわかっていただきたいです)、人によっては地味だと感じるのかもしれませんが、私にはその写真がとても潔く余計なものを削ぎ落とした美しいものに感じられました。
多分、材料に気を配り丁寧に料理をされているのだと思います。一方、自分の料理を考えると、一生懸命に料理したんだとわからせたい、サボっていると思われたくない、という気持ちばかりが先走っていたことに気が付きました。
食卓としての体裁を整えることが優先になり、何のための料理なのか、もっと言うと何のために食べるのかがおろそかになっていたように思います。この私の気持ちが、言い訳だらけの料理を食卓に並べさせていたのではないかと思うのです。
やはり食べるものは大切
「days」には穏やかな文体で日々のいろいろなことが綴られていますが、よく考えると大変だっただろうな、と感じることもあるのです。生活をダウンサイジングしなくてはならなくなった場面、お父さんが年老いたと実感した場面などは、人によっては大変な苦労が降りかかってきたと感じることでしょう。
それを冷静に見ながらも、穏やかに語ってしまうのは、やはり食べているものに作られたよんさんの人間性なのかもしれないと思っています。
私が食事を作るとき、極端に家族の好みを気にしてきました。これも食事を作るからには喜んで欲しい、そして私はキチンと家事をしていると思って欲しいという気持ちの現れだったと思います。そして、今私は自分が何を食べたいのか、何をしたいのかということがよくわからなくなってしまいました。
「days」を読んで気がついたことを大切にして、私も自分が何を食べたいのかを考えてみたいと思っています。それがこれからの私の生き方を左右することになるのではないでしょうか。もう遅いなんてことはないと思っています。