ご近所に住む女性が入院していたそうです。脚が痛くて歩くのも大変、しかも浮腫んでいると言います。原因がわからずに検査入院をしていたようですが、それでも原因は判明せず、自宅に帰されてしまったということです。
女性は私よりも15歳位年上ですが、我が家の本家筋にあたるため、周りの人たちよりも少し行き来がありました。しかし、ここ数年コロナ禍でそれもなくなり、たまに道で顔を合わせるくらいになっていたのです。
お見舞いは遠慮したそうです
我が家が住んでいる地域は、何事も昔ながらのやり方です。誰かが入院したりすると、数年前までは自治会の班(7件あります)みんなで、ゾロゾロとお見舞いに行ったものでした。今回、班長さんがお見舞いの話を持ちかけると、女性の夫は丁重に断ったそうです。
それはそうでしょう。お見舞いとして金品を贈られたら、退院時には快気祝いを用意しなくてはなりません。
金品はなしで自宅にお見舞いに来る場合もありますが(これを当地では口見舞いと呼び、お返しの心配をしなくても良いのでとても良い習慣だと思われていました)、お茶の一杯も出して応対する必要があります。まだ、完全に回復していない妻を思えば、そっとしておいてくれと思うのは当然です。
夫は容態を聞きに行くそうだが
しかし、夫は今度の休みの日に、女性の家まで行って様子を聞いてくると言っています。コロナ禍前まで親戚に近い付き合いをしていたので、女性の容態が気になってたまらないようです。私もその気持ちはわかりますが、なんだか容態を知りたいような、知りたくないような落ち着かない気持ちです。
夫が自宅まで具合を尋ねに来たら、女性は気を使うのではないかと思うのです。女性はもともと家の隅々まできれいに掃除をして、料理の腕は抜群に良く、自分の身だしなみも常に整えていました。
私がお盆やお彼岸で訪ねると、いつも心を込めてもてなしてくれました。やつれた姿、もてなしができない状況というのは、女性にとってかなり辛いものがあるのではないでしょうか。もし、私が来ても良いと言われても、具合の悪い女性と普通に話ができるような気がしません。
これからの生き方を思う
それにしても、若いときに何でもできて、容姿にも健康にも恵まれている人も、みんな年を取るとそれを1つずつ手放していかなくてはいけないのですね。
年を取っていくということが何だか、とても重く感じられます。私自身、これからもっと多くのことを手放していくんだな、と思うと、自分の生き方を考えざるを得ません。あまりにも手放したくないと思うと、自分が辛くなりそうです。どう頑張っても、白髪やシミ・シワはこれから増える一方でしょうし、高いところに登って掃除などもできなくなると思います。しかし、それが当然のことだし、自然なことなのでしょう。
女性が再び元気になって「あのときは大変だったのよ~」と笑いながら話してくれれば、救いがあるというものです。