昨日、夫と一緒に叔父の葬儀に参列してきました。叔母が亡くなってから、ちょうど2ヶ月で叔父も亡くなってしまったのです。
葬儀に使う式場も、列する人の顔ぶれも同じなのに、棺に中に入っているのが叔母ではなくて叔父なのが少し不思議な感じがしました。
突然、亡くなった叔父
叔父はことさら誰かに持病の話をしたわけではありませんが(だから叔父は健康で丈夫なのだと思っていました)、やはり年齢相応の病を抱えていたそうです。亡くなる当日もその通院をする予定でしたが、珍しく息子に「今日は早く病院に行きたい」と言ったのです。
それで午後一番に行こう、と話が決まりましたが、病院に行くことはありませんでした。孫がトイレの前で倒れていた叔父を見つけたのです。すぐに救急車を呼び、心肺蘇生も行ってもらいましたが、その甲斐はなかったわけです。
亡くなった原因や状況によるのでしょう。葬儀の日、最初に見た叔父は随分と顔色が悪かったです。私も今までに何回かは亡くなった人と対面をしたことがあります。その中でも叔父の顔色は、最も悪かったです。
きちんとお別れするためにも顔色が大切
すでに亡くなっている人の顔色が良いも悪いもないと考える方もいるかもしれません。しかし、亡くなっているからこそ、顔色は大切なのだと思います。あまりにも顔色が悪いと、対面したときに、なぜ亡くなったのか、最期はどんなふうだったのか、苦しかったのだろうかと色々と考えてしまうのです。
それでは、せっかく対面させてもらっても、雑念が入りすぎて、きちんとしたお別れができないのではないでしょうか。
私は、目の前の叔父と記憶の中の叔父が違いすぎて、何とも落ち着かない気持ちでいました。叔母の葬儀のときは、夫が「まるで眠っているみたいだ。きれいな顔をしている…」と言っていましたが、叔父に対しては何も言いません。
これはこれで諦めるしかないのだと思っていたところ、納棺の担当者の「男性でも薄くお化粧をすることが可能ですよ」、との言葉に叔父の息子(夫の従兄弟)が同意。叔父は多分初めてのメイクをされることになったのです。
メイクの効果は予想以上だった
納棺の儀式の中でメイクにかけた時間は短いものでした(私が普段、薄く色の付いた日焼け止めを塗るのと大差ありませんでした)。それでも叔父の顔色は明るく、ツヤが出て、雰囲気がガラリと変わりました。
最初に対面したときの叔父は、苦しい終わりを耐え抜いた、修行僧のような顔でしたが、幸せな人生をおくり、穏やかな終わりを迎えたのだと思える顔になったのです。
実際に叔父は長年連れ添った妻と立派に成長した息子がおり、4人の孫にも恵まれ、経済的にも豊かで幸せな人生を歩んだと思います。メイクをした後の顔が、叔父の人生を象徴しているように私には思えました。
思わぬところでメイクの大切さを実感
叔父の息子たちもメイクした後の顔を見て、とても喜んでいました。まあ、これはメイクだけの効果ではないでしょう。
ヒゲや鼻毛の処理もしてもらい、口元を手直ししたこと(叔父は入れ歯を使っていたので、口元が落ちくぼんでしまったのですが、それを詰め物などをすることで修正してくれたようです)も叔父の雰囲気を変えるのに役立ったのだと思います。
私も思わぬところで、身だしなみやメイクの大切さを実感することとなりました。当たり前のことと言えば、それまでなのですが。
それにしても、叔母に四十九日法要までは頑張った叔父。今更ながら、偉かったな~と思わずにはいられません。どうか安らかに眠ってください。