先月(11月)の通院時、甲状腺ホルモンの値(橋本病で治療中です。放っておくと甲状腺ホルモンが出ません)が治療前に戻ってしまったと医師に言われました。血液検査はやったばかりでしたが、もう一度やり直しをすることになったのです。
医師は「服薬していない期間が1週間以上もあったなら、それが数値が悪くなった原因でしょうが、万が一と言うこともあるので、念のために検査をさせてください」と言っていました。
数値は元に戻ったが
服薬を再開して1ヶ月経った時点では、再び数値は正常に戻り、私も安心できましたが、医師からはもう一度注意を受けました。
今回はすぐに正常範囲に戻りましたが、次回もすぐに戻るとは限りませんよ。甲状腺ホルモンは人間の身体のエンジンの役割を持っています。それを忘れずに、通院を続けてくださいね。
服薬を再開してすぐの頃は、まるで身体が目覚めるような感覚がありました。やはり私には甲状腺ホルモンが必要なんだと実感(洗濯物を干すだけでも、身体が重くて、大変だったのです)。普通に動けること、健康のありがたみを感じていたのです。
ところが今、それほどのありがたみは感じられません。さすがに洗濯物を干すくらいは何とも思わなくなりましたが、別に元気ハツラツというわけでもないです。あれ、本当に私、健康なの?と疑わしく思うくらいです。
失って初めてわかることもある
以前、幸せを感じないことについて少々批判的なブログ記事を読みましたが、何だか私の今の状況は、それに似ていると思います。
人間は良い状態でも悪い状態でも、それに慣れてしまいます。現に私は甲状腺ホルモンが出ていない状態でも、まったく動けなくなることはありませんでした(個人差があると思いますが…)。
しかし、今は良い状態にあるのに、それほどありがたみを感じていません。先程のブログ記事を書いた方は、身の回りの幸せにもっと感謝の気持ちを持てば良いのに…と思っているようです。ご自身はいつも幸せだと思っているし、娘さんにもそう伝えているとおっしゃっています。
確かに、不幸だと言われるよりは幸せだと言われた方が娘さんも気分が良いでしょうが、そんなに幸せを実感する場合、もしかすると幸せが定着していない(幸せではない状態が直ぐ側にある)状態なのではないかと思いますが、これは私がひねくれているだけでしょうか。
ブログ記事を書いた方は、まだ幸せが定着していない不安から「幸せだ」と言葉を発して、自分を落ち着かせているのかもしれません。
考えなくても済むのが幸せな状態かも
私は中学2年生のときに父が脳出血の発作で倒れて、生死の境を彷徨いました。その後も後遺症で働けなくなり、専業主婦だった母が会社員になったのです。それまでの生活に感謝の気持ちなどなく、これで当然と思っていましたが、失って初めて自分が幸福だったことを知りました。
だから今、幸せとか不幸せとか、もしくは健康とか不健康とか、何も考えなくて済む状態が本当の幸せではなかろうかと私は思っているのです。
ああ、幸せと口に出して言わなくても、その人は十分に幸せなのかもしれません。まあ、これを失ったら、と考える想像力がないだけかもしれませんが、結構そういう人って多いのではないでしょうか?これから私は、健康を失わないように努力していきたいです。