今朝、こんなブログ記事を読みました。
苦手なところがある女性と無理して付き合っていたけれど、自分も60代になって、もうこれ以上は我慢ができない、友だちを失ったのかも…という内容でした。
大人になってからの友だち付き合いは難しい
似たような内容のブログは他にも目にしたことがあります。大人になってからの友だちとの付き合いは、誰にとっても難しいのだと思いました。
学生時代の友だちとは、同じ学校に通っていることでみんな立ち位置が同じです。もちろん正確には、住んでいる家も経済状態も違うわけですが、同じ学校に通い、同じ教室で同じような勉強をしていることで、共通項が多いと自分で思っているわけです。
しかし、学生時代の友だちとも年月とともに違いが浮き彫りになってきます。結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか、仕事をするかしないか…違いは数え切れないほどあるでしょう。
その違いをいちいち配慮していたら、話もできないことになるし、配慮をまったくしなかったら、誰かを傷つけるかもしれません。
人との違いがあることがそもそもわからない!
違いがあるのだとわかっていればまだしも、世の中にはそんなことは考えもしない人がたくさんいます。子どもは年頃になれば、勝手に巣立ち、自立する。こんなことも叶わない場合があるということを、大抵の人は考えないと思います。
考えない人が悪いわけではありません。そもそもその人にとっては、今の自分の状況だけがすべてです。違う世界があることすらわからないでしょうから。
しかし、その人が嬉しそうに子どもの話をするとき、私は少し心が硬くなるのをどうすることもできません。これはどちらが悪いというものではありませんが、私は自分の心が硬く、苦しくなる場所にわざわざ出かけていく気にはなれないです。
それに私だって誰かの心を傷つけているかもしれません。そんなことを考えると、おちおち友だちとランチに行くこともできないです。それなら私は、まあ友だちがいなくてもいいか、と孤独を甘んじて受け入れようと思ってしまいます。
友だちはいなくなって当然?
学生時代よりも、うんと難しくなる友だち付き合い。主婦になってから友だちがいなくなるのは、ある意味必然ではないでしょうか。
中高年になっても、盛んに友だちと付き合い、旅行などに行っている方というのは、コミュニケーション能力に恵まれた才能がある人なのかもしれませんね。
能力のない私は孤独を受け入れていますが、孤独は気楽でもあります。悪いことばかりではないと思います。