親孝行は呪いになる?しかも子どもだけでなく親も囚えてしまうから、十分に注意したいと思う

親孝行 生活

今朝新聞を読んでいたら、「親孝行」という言葉についての記事が載っていました。ざっくり言うと人間が幼いうちに「親孝行は良いことだ」との考えが植え付けられてしまうと、それは人生を狂わせる呪いの言葉にもなりうるのではないか、という内容でした。

親孝行が良いことだと植え付けられている?

記事にもありましたが、私の娘たちが小学生だったときも、「二分の一成人式」が学校で行われており、子どもから親への手紙が披露されていました。そこでは、普段からは想像もつかないような子どもから親への感謝の気持ちが綴られていたのです。

私が子どもの頃にはそんなことは考えもしなかったであろう、感謝の言葉の数々を聞いていると、段々『本当にそんなことを考えているのか?』と疑惑すら湧いてきたのを覚えています。

多分、娘もその同級生も、あまり深く考えずに先生の言葉に従って、普段の感謝の気持ちを手紙にしたのだと思います。ただ、こんなふうに書けば喜んでもらえる、と思っているうちに、親に感謝するのは良いことだ、子どもは親孝行をするものだという考えが深く根付いたのでしょう。

ただ、私は未だに何が親孝行の正解なのかわかりません。今子どもの皆さんも、正解がわからないまま親孝行は良いことだ、と思い詰めると後で自分が辛くなるかもしれません。何をしても、これも違う、あれも違う…ということになりかねません。

私の親孝行は不正解?

私は20代のうちに結婚・出産をしました。親に孫の顔を見せてあげられたし、年に数回は実家に帰っていました。父の日や母の日にプレゼントだってしましたが、いつも母はどこか不満げでした。

〇〇さんのうちは、夏休みに娘が孫を連れて2週間も泊まるんですって。大変だってこぼしていたけど、それだけ仲が良い証拠よね~。あ~、羨ましい。

母はいつもこんなふうに愚痴をこぼしていました。そう、母は私や孫から慕われたかったのです。面倒だからと断っても、それでも娘や孫が遊びに来るほど慕われたかった…

実際の私は母から「面倒だから来ないで」と言われると、その言葉の通りに実家には帰りませんでした。だからと言って、私と母の間はそれほど険悪だったわけではありません。単に私は断られても嫌がられても、母に会いに行くような人間ではなかった、それだけです。

いつも不満げな母の顔を見るのは嫌でしたが、できないことはできないのです。私は母が亡くなるまで、自分ができる範囲で母と関わり続けました。

母が亡くなったときは、これでもう不満げな顔を見ることもないし、文句も聞かなくて済むことにホッとしたのも事実です。

親も親孝行の呪いに囚われる

今思うと、母も親孝行の呪いに囚われていたのかもしれません。他人の話に心を奪われて、自分の幸せが見えなくなっていたのかもしれないと思います。

実際に母は友人からこんなことを言われたそうです。

娘が結婚して、子どもを生んで育てているんでしょ?私の子どもは2人とも結婚しないまま40歳を越えたわよ。私はもう孫は見られないと思う。あなたは孫を見られたことに感謝しないといけないわ。

まあ、この友人の子どもは2人とも一流企業に就職。高給取りでした。私と比べてどちらが幸せなのか…比較するのはなかなか難しいですね。

結局、親孝行って子どもだけでなく、親も囚える呪いになりかねないようです。私も夫もすでに親が亡くなっていますが、そのうち娘たちから何の親孝行もしてもらっていない、などと考えるようになるかもしれません(それが呪い)。

そうならないように、十分に注意してこれから生きていきたいです。

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