今日は8月31日、今日で子どもの夏休みが終わる方も多いのではないでしょうか。ここ数年はこの時期になると、学校に行きたくない子どもたちの気持ちを慮るような内容の記事や番組が増えていると感じます。
夏休み明けに学校に行きたくない子ども
昨日、夫と2人で食事をしていたときもそんな番組を放送していて、それを観るともなく観ていました。番組では、小学3年生の男の子の母親だという人が自分の子どもが不登校になったときの様子を話していました。
彼女は学校に行きたくないという息子が不安で、何とか行けるようにならないかと、付き添い登校などを提案するものの、息子には受け入れられませんでした。母親が学校に行けるようにとあれこれ心を配ることで、息子は返って不安定になってしまったと言います。
きっと学校に行く以外の選択肢がなかったことが、彼にとっては絶望的だったのでしょう。そのうち、母親は彼を学校に行かせることを諦め、家で彼と向かい合おうとするようになります。そんな日々の中で、息子は徐々に明るさを取り戻したそうです。
確かに彼は今現在も不登校のままですが、写真の中ではとても良い笑顔を見せているのです。母親は締めくくりにこんなことを言っていました。
無理に学校に行かせようとするのをやめて、本当に良かったです。最初は学校に行かないことが不安でしたが、息子を見ていると私の選択は間違っていなかったと思います。
それを聞いた夫が最初、「本当にそれで良いのかな?昔は夏休み明けだからって、学校に来れないなんて言うヤツはいなかったぞ」と言ったのです。
思わず漏れた夫の気持ち
また、いつもの文句が始まったと思いましたが、夫はさらにこう続けたのです。
これで良いって思うしかないよな…これで良いって思わないとやってられないからな。
夫は多分次女のことを思って、言ったのだと思います。我が家の次女は引きこもりです。大学を中退して引きこもりを始めたので、もう8年になります。
普段夫は次女についての感想はほとんど言いませんが、この言葉には深い悲しみが込められているように感じます。
普段、次女のことについて考えるとき(私たちが死んだあとはどうなるんだろう、とか)、自分一人の悲しみとしてとらえることが多かったのですが、一番の仲間がここにいるではないか、と改めて気付きました。
学校には行っていた次女だけど
次女の場合は、大学に入学するまでは特に登校を渋ることはありませんでした。高校などは皆勤賞をもらったほどです。いつ、どこでどんな人生を歩むようになるのかは誰にもわかりません。
今学校に行きたくないと思っても、その先には楽しい未来が待っているかもしれないのです。学校に行かなかったことは社会的にはムダになるかもしれないけれど、自分のためにはムダではないかもしれないです(その時間を使って、自分はこれからどう生きて行くのかを考えられるかもしれません)。
それに次女のように学校さえ行けば、その先は何とでもなるとは限りません。どのみち、人には立ち止まる時間が必要なのでしょう。
子どもが学校に行きたくないと言いだしたら、親はちょっと考えてしまうでしょうが、今は立ち止まるときなのだと考えて、少し見守っていても良いのかな、と思います。
実は今日は次女の誕生日です。28歳になりました。次女はどうなるのか、かいもく見当もつきませんが、自宅の中だけで生きているこの時間が彼女にとってムダではないように祈るばかりです。今、困っているすべての親と子に、楽しい時間が戻ってくると良いのですが…
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