年賀状じまいという言葉を耳にするようになりました。意味は文字通り年賀状をお終いにすること。年賀状そのものは印刷できますが、誰に出そうか、そうだ〇〇さんは喪中はがきが来てたんだった、などと考えて調整するのは私にとって結構大変なことです。
もうかなり前から私は『出さないで済むなら出したくない』と思っていたのです。
最初は普通に年賀状を出していたが…
もともと年賀状を出さないなどと考えられなかった私。結婚してから娘たちが産まれてしばらくの間は50枚ほどの年賀状を律儀に出していました。
自分の親戚や友だちはもちろん、夫の分もすべて私が作成して出していたのです。しかし、夫は年賀状を気に掛ける様子がありません。一言自筆で添えるなどはまったくしませんし、自分に来た年賀状も返事を出すでもなく、いつまでも放置しています。
最初のうちは私も夫にいろいろと言いました。「私もあなたの分まで書くのは大変なんだよ」とか「自分の分は自分で一言添えて出してよ」などと…しかし、夫はさもうるさそうにこう言うのです。「そんなに面倒だったら、俺の分の年賀状は用意しなくていいよ。年賀状なんて面倒なだけだよ」
夫の言い分を聞いているうちに、私も段々と馬鹿らしくなり、まず夫の年賀状をやめました。そのうち自分の分も出すのが面倒になり、元日に届いたのを見て返事を出すスタイルに変わって行きました。
初めて年賀状じまいを宣言された
年賀状ってやはり相手がくれるから自分も出すもののようです。自分から出さなくなると、てきめんに届く枚数は減りました。今年私の手元に届いた年賀状はわずかに4枚です。
今年、その貴重な年賀状の中にこんな文言が見受けられました。「今年をもちまして、年賀状でのご挨拶は遠慮させていただきます」
そう、年賀状じまいを宣言する文言です。私と同年代の女性からの年賀状でしたから、考えることも似たりよったりだったのでしょう。自分と同じだと親しく思う一方で、お互いにもうたくさんの年賀状を出す気力はないんだなと少々寂しくも思いました。
年賀状をお終いにしたいときは、私のように消極的にやめる方が良いのか、それともきちんと年賀状じまいを宣言した方が良いのか…悩ましいですね。
年とともに年賀状が虚しくなってしまった
ただ、私の場合年賀状を用意するのが面倒なこともありますが、それ以上に虚しくなったのも、年賀状から心が離れた原因だと思います。何十年も会わない人に「元気にしている?」とか「今年は会いたいね」などと書くのが嫌になってしまいました。
何十年も会わない人は、多分この先も会わなくて大丈夫な人なのです(まあ、実際に会ったらきっと楽しいと思う)。一言添えようとして、何も書くことがないとわかったとき、もう年賀状はいいかな~、と思ったわけです。
しかし、やめるのにこんなに考えさせられる年賀状。始めるときはもう少し考えれば良かったです。結婚したときや子どもが産まれたときは、つい写真入り年賀状を作りたくなりますが(当初は写真を選んだりと夫も参加していた)、それをいつまでやるのかをよく考えておくべきだった…
若かった頃は、自分の考えがこんなに変わってしまうとは思いも寄りませんでした。まあ、年賀状のことなど1年の大半は忘れて生きていますから、そんなに気にすることはないのかもしれません。
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