長女に注意してから2日経ちましたが、まだ長女は自分が使った後の洗面所をキレイに拭いてくれます。
昨日は髪の毛を乾かした後、床に落ちている毛まで拾ったようで、洗面所全体がとてもキレイになったように感じられました。
ハッキリ言って私はとてもラクだし気持ちが良いです。歓迎すべき事態ですが、なぜか不安な気持ちも感じます。
長女を見ていると感じる不安
長女は私に指摘されたショックで今は一時的に頑張っているだけ、のような気がするのです。この無理は他のところに影響するのではないか…
そもそも洗面所がビショビショだといけない、というのは私や次女の理屈です(まあ、着替えを置く場所まで濡れているのは困りますが)。その理屈を長女に押し付けて、無理をさせるのはハラスメントに当たるのではないか、とまで考えてしまいます。
何度も言うようですが、私は着替えを置く場所まで濡れていると困るから、ちょっと気をつけてと言っただけです。洗面所自体をいつでもキレイにしておけ、とは言っていません。それがなぜここまで極端なことになるのか…
いつも長女はなにか注意されると、頑張って100%やり遂げようとします。そうして、自分で疲れてしまい「もうダメだ~」と放りだしてしまうのです。自分の部屋の掃除などはその良い例です。
100%キレイにしようとするから、時間も体力も費やして疲れ果ててしまう。掃除が終わった瞬間にもうダメだと放りだし、部屋はあっという間にリバウンドする、の繰り返しです。
「ちょっと」とか「少し」とかの概念はどうすれば身につけられるのか
ただ、長女にはちょうど良い塩梅という概念がないような気もします。やるかやらないかのどちらか、しかないのでしょう。ちょっと気をつける、ちょっと周りを片付ける、のちょっととはどの程度なのかわからなければ、全部やるしかなくなります。
そうして20年以上かけて汚くした部屋をわずか数日で片付けようとする…これでは挫折しない方がおかしいです。
私は洗面所をそこまで拭かなくて良いんだよ(着替えを置く人が困らなければ良い)、と長女に言いたいのですが、長女の反応を考えると言うべきか言わざるべきか悩んでしまいます。
多分「気をつけろって言われたからやっているのに、じゃあ私はどうすればいいの?」と言ってくるような気がします。
『無理しているんだろうな』と思いながら長女の姿を見ているのは、私も辛いです。まあ、人によってはそれのどこが大変なのか全然わからない、と感じるかもしれません。私の気にしすぎなら良いのですが…


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