昨日に引き続き新聞ネタです。
今朝新聞を読んでいて気になったのは「主婦の引きこもり」についてです。専業主婦は家にいるのが当たり前と思われているため、引きこもりが潜在化しやすいのではないか、と言われています。
引きこもりに新たな定義が…
内閣府では引きこもりを「仕事をしておらず、半年以上自室や家から出ない人」と定義しているそうです。しかも、趣味で外出するのは自室や家から出ているとはカウントされません(なんか厳しいですね。好きなことだけしているのはダメってことなんですかね…)。
2018年までは主婦(夫)や家事手伝いは引きこもりとはされませんでしたが、直近半年の間に家族以外との会話が殆ど無い場合は引きこもりに含まれることとなりました。
この定義に照らし合わせると、私は見事に引きこもりです。ここに親子(私の次女は引きこもりをして9年目になります)引きこもりが誕生したわけです。まさか私の引きこもり気質が遺伝したのか…と考えると、少々怖いですが。
専業主婦(夫)の名に隠れた辛さ
ただ、今朝の新聞でいくつかのケースを紹介していましたが、主婦で引きこもりに陥っている場合、自分がやるべきと考えている家事に支障が出ているようです。それこそ、家族の生活が回らなくなっているような印象を受けました。
こうなってしまうと、明らかに辛いのだろうと思います。もちろん家事をすることだけが、主婦(夫)の務めでも目的でもありません。自分がこの程度で良いと思っていれば、それで良いと思いますが、新聞で紹介されている方は、そうは思えないで苦しんでいるように見えました。
助けてと声に出しても、もともとある程度以上の年齢の人たちは専業主婦が家にいるのは当然だと考えています。助けるべき人と認識してもらえないで、放置されてしまうのです。
助けてと言っても相手にしてもらえない、これは辛いはずです。何度も同じ経験をすると、そのうち助けてと言ってもムダだから、黙っていようという気持ちになるでしょう。
やっとつながりを持てても
専業主婦(夫)が当事者の団体とやっとつながりを持てても、また大きな壁があるようです。それは他ならぬ引きこもりの人々です。
専業主婦(夫)以外の立場で引きこもりとなっている人たちからは、自分たちとは立場が違う、こんなの(専業主婦(夫))は引きこもりではないとみなされてしまうのです。実際に当事者団体へは、こうした声が届くのだそうです。
聞いているだけで辛いな、と思います。なぜ同じ立場の仲間という気持ちになれないのか…専業主婦(夫)以外の人たちは、自分たちの方がもっと辛いんだとでも言いたいのでしょうか。まあ、私の次女もかつて同じようなことを言っていました。
引きこもりって勝手なことを言うよね、と思っていました。やはり一人でいることが多いと、自分のことしか考えられなくなるんじゃない?とも思いましたが、こうして私もやはり引きこもりなのだと思うと、自分もせいぜい気をつけようと思います。
人が辛いときに、私の方がもっと辛いと言い返すのではなく、そうか、辛いんだねと言える人になりたいです。しかし、私は現在60歳。今からで間に合いますかね?


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