昨日、私は新聞の投書を読んで、自分の思い込みの大きさを思い知りました。投書の内容は墓じまいをした夫婦がお互いが亡くなったとき、遺骨をどうするかというもの。
投書をしたのは65歳の女性で、関西地方在住です。この女性、夫婦で先に亡くなった方は骨上げをしなくていいかな、と思っているようです。
骨上げってしなくて良いものなの?
骨上げ、つまり遺体を火葬した後、遺族が遺骨を拾うことですが、これをしなくて良いのではないかと言っているわけです。私はこの意見にびっくりしました。
日本で人が亡くなった場合、遺体は火葬しなくてはいけないし、火葬した後の遺骨は遺族が引き取るべき(自分で供養できない、したくない場合はしかるべきところに預けるべき)だと思っていたからです。
だからこそ、引き取り手のない遺骨があると、自治体などで問題になる(以前ニュース番組で特集していた)のだろうと思っていました。
今では遺骨の行き先は樹木葬や海洋散骨など、墓にこだわらなくても済むようになったのは知っていましたが、それもまず遺体を火葬して遺骨を引き取ることが私にとっての大前提だったのです。
とにかく投書を読んでびっくりした私がネットで調べてみたところ、地域や火葬場によって異なるものの、骨上げをしないことも可能だとわかりました。
骨上げの作法からして違うなんて…
私は関東地方で生まれ、そのまま生活しているので、誰かが亡くなると遺骨はすべて骨壺に納めるのが当たり前でした(これを全収骨と言うそうです)。
しかし、関西地方ではもともと遺骨の1部しか骨壺に納めません。その1部を納めることも拒否する、つまり収骨自体を拒否できる火葬場もあるそうです。投書をした女性は関西地方在住なので、骨上げをしないという発想はそう突飛なものではなかったのかもしれません。
私はつい最近になって、関西と関東で骨上げに対する考えが違うことを知りました。テレビなどで骨壺が移ると『骨壺が小さすぎない?』と不思議に思っていたのです。1部しか収骨しないのだと知った後も『じゃあ、残った遺骨はどうなるんだろう?』とスッキリできなかったのです。
ただ、遺骨って持って帰ってきても、別にその後じっくり眺めたり、触ったりはしませんよね。お墓などに収めたら、もうそれまで。遺骨の存在など考えたりはしません。
だから、投書の女性のように骨上げを行わない、ときっぱり決めてしまっても良いのかもしれないと思います。私も葬儀に対して、遺骨に対して大きな思い込みに縛られていたようです。
今が思い込みを手放すときかも
かつて(多分江戸時代)日本では1人が1つのお墓に葬られていました。
しかし、当時は土葬だったこともあり、1人1墓にこだわっていると場所が足りなくなります。それを聞いた当時の将軍が1家1墓でいいだろうと言ったので、現在のような墓になったそうです。
それからさらに人口は増えました。私たちが遺骨にこだわっていると、また墓のために土地が足りなくなりそうです。絶対に供養のために遺骨が必要という思い込みを手放すときが来たのではないでしょうか。
今まで樹木葬はいいな、と思っていましたが、そもそも遺骨を手にしない選択があることを知って、久しぶりに目から鱗が落ちる思いでした。


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