先日、弟夫婦に結婚祝いを渡したものの、手提げ袋も袱紗もどこかに忘れてしまいました。
がっかりするのと同時に失くしたものは今どこにあるのか?と不思議に思っていましたが、そのとき、かつて私の母も似たようなことをしていたのを思い出しました。
自分が食べた空の弁当箱を忘れた母
母がまだ仕事をしていたときですから、今の私と同じかもう少し若かった頃です。仕事の帰りに弁当箱を忘れたそうです。弁当箱は食べ終わった後のもので汚れていました。
母は忘れ物を扱う人に迷惑がかかると思い(洗っていない弁当箱は臭いので)、毎日利用しているバスと電車の運行会社に連絡を入れたのです。
母は確かにその日、職場で弁当を食べて、食べ終えるといつものように手提げ袋にしまいました。そして自宅に帰ると手提げ袋がなかったわけです。これはバスか電車のどちらかに忘れた、と思うのが当然でしょう。
しかし、バス・電車、どちらの運行会社もそのような弁当箱は届いていませんと母に言ったそうです。念のために翌日職場も調べましたが、弁当箱はありませんでした。
結局、弁当箱は消えてしまった?
そのときの私は「まあ、失くしたものは仕方がないよ。弁当箱はまた買えばいいじゃん」と言いました。母は弁当箱は別に惜しくないと言います。それよりも、一体どこに消えたのかわからないことが気持ち悪いのだとも。
確かに、失くしたものが財布なら消えてしまっても納得できます。誰かが持って行ったんだ、と思います。でも、弁当箱は財布に比べてかさばります。手提げ袋をちょっと持ち上げてみれば、『ああ、弁当箱だ』と気が付く人も多いでしょう。
持って行こうという気にはならないだろうし、届けてあげないと!という気にもなりにくいように感じます。見て見ぬふりをされた弁当箱が、終点で発見され遺失物として届けられる可能性が一番高いように思いますが…
財布ならどこかに落とす可能性もあるかもしれませんが、弁当箱を落としたら、それこそかさばるものですからいくらなんでも気が付くだろうと思うのです。
何か失くすのは警告?
結局弁当箱は出てこないし、何のオチもない話ですが、こういうことって警告なのかもしれませんね。60歳って、いよいよ年を取っていく始まりみたいな年齢です。
これからこういうことが増えるぞ、注意して生活しなさい、と警告するために、誰かが失くなってもそれほどショックを感じないものを失くすのかもしれません。え?誰が失くすんだろう?神様かな?
母もずいぶん気持ち悪かっただろうな~。今ならすごく共感してあげられるのに、もう母は10年も前に亡くなってしまいました。万が一、今生きていても弁当箱を失くしたことなど忘れているかもしれません。
私だけが失くしものをするわけじゃないと思うと、ちょっと気が軽くなりましたが、こういう家系(ちょっとボーっとしている家系)なのかな、と思うと怖いような気もしています。


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