金木犀の花が良い香りを漂わせる季節になりました。我が家でも敷地内に1本植えられています。昔ながらの家だったので、外のトイレの脇に植えてあり、昔の人は臭いの対策として植えたのかな、と思うと感心します。
幼い次女の思い出
金木犀の花が咲くと、毎年思い出すことがあります。次女が幼稚園に通っていたときのことです。現在引きこもっている次女は、幼い頃から環境の変化が苦手でした。幼稚園に通うことは次女の人生で最初の試練だったはずです。
毎朝、次女はこれでもかと言うほど泣いていました。園バスがやって来ると泣き出し、幼稚園に到着するまでの30分ほどを泣き続けていたそうです。幼稚園でも何かというと泣いていて、先生方にも評判だったようです。
そんな次女がなんとか最初の1学期を乗り越え、秋になると少しずつ幼稚園でも落ち着いて来たようでした。ある日のバス停からの帰り道、次女はママにお花を持ってきたよ、と言ってきました。
金木犀を持って帰って来た次女
しかし次女はいつものようにカバンを斜めがけしている以外は手ぶらでした。家の玄関で、次女はカバンから封筒を取り出すと、私に「手を出して」と言いました。そして私の手の上に、封筒の中身をサラサラとふりかけました。
それが金木犀の小さな花だったのです。金木犀の樹の下で、1つずつ拾ったそうです。かなりの数があったので、きっと1人で長い時間をかけて拾ったのでしょう。私にとって、金木犀の花は香りを楽しむもので、花をじっくりと見たのはその時が初めてでした。
本当に小さな花でしたが、これがまとまるとあんな良い香りを発して人を振り向かせるんだな、と感じました。なんだか大切なことを教わったような気がしました。特に日記などに記録したわけではありませんが、この記憶はずっと色褪せずに残っています。
記憶は宝物になる
次女のことではいろいろと考えることもありますが、手のひらに金木犀の花を受けたことを思い出すと、なんとなく心が静まっていく気がします。あれから20年以上たっていますが、いまだに私にとってこの記憶は宝物なのかもしれません。
この件で、私は宝物のような記憶が生きていく糧になると思うようになりました。
この話を誰かにしても、何が良いのかわかってもらった試しはありません。人の思い出なんてそんなものかもしれません。それでも誰かにわかって欲しくて、このブログに書いてみました。
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よろしくお願いします。
コメント
いつも楽しく拝読しております
金木犀のお話、心にしみました。金木犀をみるたびに、この記事を読んで感じた温かい気持ちがよみがえると思います。
これからもブログの更新を楽しみにしております。
ふくふくもみじさん、ありがとうございます。
私は温かなコメントが心にしみました。
なんだかお天気が不安定で、心と身体も不安定になってしまう日々ですが、
どうかお体を大切にしてください。これからもよろしくお願いします。