夫の伯父は我が家から歩いて5分ほどのところに住んでいます。息子の1人が青果市場に勤めているため、販売できない野菜を大量に手に入れて我が家にも持ってきてくれます。
どうしても食べきれない
販売できない(つまり売れ残りや規格外の)野菜でも、立派に食べることができるので、それを無駄にしないのは私も良いことだと思いますが、とにかく持ってくる量が半端ないので、毎回少々困惑しています。
どうしても食べ物をもらうと、私は無駄にしないように手を加えて冷凍してみたり、誰かもらってくれる人を探したりせずにはいられませんでした。そして消費しきれないのではという恐れから、無理やり自分の胃袋に詰め込むこともよくやっていました。
でも、伯父が野菜を持ってくるのは、年に何回と決まっているわけではなく、音沙汰がないときはずっとないし、気が向くと毎週のように持ってきたりするのです。現に伯父はこの半月で3回も我が家に野菜を運んできました。
私は段々、もらった野菜について考えるのが面倒になってきました。知り合いが限られているので、人にあげるのも限りがあります。もし、たくさんの知り合いがいたとしても、配って回るのも面倒です。
冷凍にしても、それを使い切らないうちに次の野菜が届くことが多いので、冷凍庫の中がいっぱいになってしまいます。胃袋に詰め込むのも、私はもともと量が食べられないので、無理をするとお腹を壊してしまいます。
余ったら捨てるのが一番良い方法?
そうすると、無理をせずに使える分だけ一生懸命に食べて、ダメにしたら後は捨てるのが一番良い方法に思えます。
私は普段自分が買った食べ物はほぼ捨てません。食べ切れる分だけを買うように気をつけているからです。料理も残らないように気をつけて作るので、ダメにして捨てたことはほとんどありません(以前、カレーの味が変わっているような気がして怖くなって捨てたことがあったくらいです)。
だから、本当は食べ物を捨てたくありません。食べ物を捨てると心が痛む、のではなく、私は食べ物を捨てると負けたと思ってしまうのです。私の落ち度ではないのに食べ物を捨てなくてはならない状況に怒りが湧いてきそうです。
でも、我が家に好意で野菜を運んできてくれる伯父のことを考えると、この怒りが湧いてくる状況を私は我慢しなくてはなりません。
もらう量を調節したかったけど
ちなみに大量の野菜とは、みなダンボールに入った状態で届きます。トマトやいんげん、キャベツもです。とても冷蔵庫には入らないし(叔父の家にはスーパーにあるような業務用の冷蔵室があるので、大量の野菜が保存できるようになっています)、4人で一生懸命食べたとしても、食べきれないと私は思うのです。
最近では伯父もやさしく「悪くなったら捨てればいいよ」と言ってくれるようになりましたが、以前はそうではありませんでした。
結婚当初、私はあまりにも大量の野菜をもらったときに、余って捨てるともったいないのでこんなには要らないです、と言ったことがあります。
そのときはまだ料理にも慣れていなかったし、私も会社員でした。たくさんの野菜を使い切らなければ、と考えるだけでも気が重かったのです。
でも、私の言葉は伯父の気分をとても悪くしてしまったようです。
せっかく人が好意であげると言ってるんだから、黙ってもらっておけ!ダメになったら勝手に捨てれば良いだろう。
こんなことを言われてしまいました。それ以来、どんなに大量のものをもらっても、ありがとうございますしか言わないようにしていますが、何年経っても食べ物を捨てることに慣れることができません。できれば捨てるような状況にならないようにしたい、その気持はずっと変わりません。
笠地蔵が怖くなるとは…
子どもの頃に笠地蔵の話を聞いても、何とも思いませんでした。でも、今ではこう思っています。笠地蔵はたまに来るから、ありがたい。
最近、車が入ってくる音がすると、また笠地蔵が来たのかと、ビクビクする自分がいます。私はもう、人に何かあげるのも怖いです。自分の好意が重荷になったら、と考えると怖くなってしまうのです。
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