私も無茶だった、のその後

生活

昨日、私が若い頃に会社を辞めたは良いけれど、次の就職先がなかなか決まらず、所持金も心細くなってしまった記事を書きました。

帰ってくるなの一言が効いた

その頃一人暮らしをしていた私でしたが、実家に頼ろうとは思いませんでした。表面上私と実家はそれほど関係が悪いわけではありませんでしたが、私と電話で話したときに会社を辞めたことを告げると母はこう言ったのです。

一度出ていったんだから、今更家に帰るなんて言わないでよ。もう家にはあんたの居場所はないんだから。

これは深い意味があるのではなく、文字通りの意味だと私は今でも思っています。私の実家は小さな団地でした。4畳半が2つ、6畳のリビングが1つに6畳のダイニングキッチンでは身体の不自由な父を含めた4人家族には狭すぎました。

私が出ていったことで、母はやっと畳の部屋で寝起きができるようになったのです(それまでは母はダイニングキッチンに布団を敷いて休んでいました)。毎日正社員として働いていた母が身体を休めるのには、ダイニングキッチンの床は十分な環境とは言えませんでした。

自分の気持ちが決まった

せっかく快適な生活ができるようになったのに、私が実家に帰るとまた逆戻りしてしまうのを母は心配したのでしょう。人によってはそれを何と冷たい言葉かと思うかもしれませんが、私はこの言葉で返って心が決まりました。

初めて自分で借りた自分の部屋、ここで頑張るしかないのだと再確認ができたのです。人間、心が決まると行動が変わるのでしょう。私は自分では絶対に受かるはずがないと思われる、外資系の企業に履歴書を送りました。

それまでは自分にもできそうなこと、自分にも受かりそうな会社ということに囚われて、履歴書を送っていました。自分がどんなことがしたいのか、どんな所で働きたいのかということがおろそかになっていたと思います。

自分を卑下する気持ちは吹き飛んだ

私はどうせ働くなら、自分という人間を最大限に評価してくれる会社で、できる限り良い条件で働きたかったのに、それを言うのがはばかられました。どうせ私なんて、誰も評価してくれないし、自分はその程度の価値しかないのだと考えていました。

それまで働いていた会社で、私は同期よりも低い査定をつけられました。この事実がさらに私に自分の価値を低いものだと感じさせました。実力で劣るのなら仕方がないですが、私にはそのときどうしてもそれが認められませんでした。

同期とは違う、自分なりの良いところを見つけて仕事を続けていくモチベーションにできたら良かったのですが、私にはそれもできませんでした。

私は自分自身を卑下するようになりましたが、会社を辞めて生活に余裕がなくなり、母からも帰ってきてはいけないと言われたとき、自分を卑下する気持ちは吹き飛びました。

生活を継続するためには、お金が必要です。私は自分を卑下している場合ではなくなりました。それどころか、自分の良いところを上げ底してでもアピールするようになったのです。

今の私は幸せか?

私が再就職できたのは確かに運が良かったからですが、それ以上に私の捨て身のアピールが効いたのだと思います。今は自分を上げ底する必要もなくなりましたが、卑下もしません。今の生活も悩みは尽きることがありませんが、それでも自分が自然体でいられるのですから、幸せだということなのでしょう。

ただ、結婚というのはそれまで他人だった人と生活していくため、どうしても相手と自分を比べることになります。私は結婚してから、自分という人間の姿を知ったような気がするのです。その事自体は、良かったのか悪かったのか、今でも判断がつきません。自分の姿を知りたくなかった、と思うことも度々あるのです。

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