親ガチャという言葉が話題になっています。今朝は新聞でも特集されていました。親は子どもが選ぶことができないため、どんな人物に当たるかはガチャガチャ(あの小銭を入れてハンドルを回すとカプセルトイが出てくる販売機のことでしょう)のようなものだと言う意味のようです。
子ガチャは買い言葉だった?
親ガチャに対して子ガチャという言い方もされます。確かにどんな人物に育つのかは、生んだ本人にも想像するのが難しく、そういう意味では子ガチャというのはうまい言い方かもしれませんが、私は子ガチャは親ガチャという言い方に腹を立てた親が作ったのではなかろうか、と予想しています。
子どもを育てた経験のある人は、親ガチャという言葉を聞いただけでも、更には子どもから「親ガチャがハズレだった」などと言われようものなら、もう自分が非難されたような気になるのではないかと思います。
実際にはそれほどの深い意味がなくても育て方が悪かったから、環境が悪かったから、経済的に苦しかったから、自分の人生が不幸なのだと子どもに言われているような気になり、売り言葉に買い言葉で「それなら私の子ガチャもハズレだった」と口走る人がいても私には不思議ではありません。
自分の経験から、どうも子どもを育てていると、親は何があっても自分の責任と捉えることが多いような気がします。カゼを引いても、ケガをしても、成績が悪くてもみんな親のせい、とまではいかなくても、もう少し気をつけて見ていれば、くらいのことは誰でも思ったのではないでしょうか。
そこに親ガチャ云々を言われてしまうと、容易に心が限界を超えてしまい、ボキッといってしまう親の心が私には想像できてしまうのです。親ガチャという言葉はちょっと危険ではないかと思います。
どんなガチャでも受け入れるしかない!
ただ、親ガチャ子ガチャと言っても、自分の家族以外と実際に家族になったこともなく、これからもなれそうにないので、どんなガチャでもそれを受け入れるしかないわけです。
子どもたちが幼かった頃、どんなに良い子でも他所の家の子には気を使いました。長時間になると気疲れして、早く帰らないかな~、などと思ったものです。
自分の子どもにはそんなことがなかったため(当たり前ですね)、よく自分の子どもは違うと言われるのは、こういうことなのかな、と思っていました。なんだか理由はわからないけど落ち着く、まあこれでいいやと思えるのが、ガチャを受け入れることなのかもしれません。
夫婦もガチャ?
それにガチャは親子だけではないと思います。私は夫婦ガチャもあると思う、というかこちらの方がガチャの要素が大きいと思います。お互いのことがよくわかって結婚したつもりでも、あれ?と思うことがたくさん出て来るのですから。
他にも就職する、家や車などを購入するなど、重大な決定を下すとき、最終的には運を天に任せることになります。こう考えていると人生はガチャばかりなことに気が付きますから、親ガチャだけに目くじらを立てても仕方がないのかもしれません。
でも、やっぱり親ガチャには抵抗あるな~、と思う私です。しかしうまい言い方だから、こんなに心にひっかかるのだと思います。それは潔く認めます。
まあ、親ガチャがハズレか当たりか判断するのは、子どもですから、私があれこれ考えるのもおかしなものです。子どもにとってハズレでも、私は私のままやっていくしかありません。