40代の後半から手元が見えにくくなりました。ずっとコンタクトレンズを使っていましたが、遠くは変わらず良く見ましたが、手元が見えにくいのが嫌でメガネに変えたくらいです。メガネならすぐに外すことができるので、手元の作業がやりやすいのではないかと思ったのです。
しかし、実際はそううまく行きませんでした。私は近視が強く、確かにメガネを外すと手元は見えますが、すぐにメガネをかけなくては何の作業もできませんでした。かけたり外したりが忙しく、つい鼻メガネをしていました(若い頃は、鼻メガネが何のためなのかわかりませんでした)。
遠近両用メガネを作ったけれど
50代に入ってからは遠近両用メガネを使っています。作ってすぐは快適ですが、数年経つと老眼が進んでいるようで、遠くは見えるのに近くは見えにくくなります。
最近、また近くが見えにくいと感じるようになりました。でも、まったく見えないわけではないので、自分で自分を騙しながら生活をしていたようです。と言うのも、先日決定的な瞬間があったのです。
それは縫い物です。そんなに大層なことをしたわけではなく、自分がパジャマとして着ているズボンの裾をあげたのです。それを着て外に出るわけではないし、ざっくりと縫えば良いと思っていたのですが、黒いズボンの裾を黒い糸で縫うと、もう自分ではどこを縫っているのか、わけがわからなくなってしまいました。
きっとメガネを外してしまえば、もっとよく見えるのでしょうが、それをすると顔をぐっと近づける必要があります。針を使うときに、あまりに目を近づけるのは怖いのです。
こうして、私はちょっとした縫い物もやらなくなっていくのでしょう。別に縫い物は好きではありませんが、まったくできなくなると、ちょっとボタンが取れたとか、裾がほつれたというときに不便になるな~、と思います。
娘たち2人は、もともとまったく縫い物をしません。まつり縫いなどはいくら説明してもわかってもらえませんから、娘たちに頼るのは無理そうです。
遠近両用も完璧ではない
遠近両用メガネだと、新聞も読めるし、便利です(縫い物ができるほどではないと思いますが)。昔のようにレンズに境目がないので、自然に使うことができます。ただし、使い方にコツがいるような気はします。新聞を読むとき、視線だけを下に落とすようにするとうまく見えると思います。顔ごと下に向けてしまうと、字はぼやけてしまいます。
ただ、毎年メガネを作り変えるのは、私には勿体ないように思えるし、費用もかかります。すると新しいメガネを作るまでの間は少し我慢をしながら生活することになります。一度老眼になってしまうと、元に戻ることはないので、この我慢をしながら、自分の老いを受け入れて行くしかないな~、と今の私は遠い目をしているわけです。
縫い物も掃除も、そのうちできなくなって手放さざるを得なくなるのでしょう。若い時は、近視が進みすぎると、そのうち何も見えなくなるのではないかと恐れていましたが、今はさらに老眼です。本当に近くも遠くも見えなくなったら、どうしようと思っています。
よく夫の祖母が洗った茶碗には洗い残しがありましたが、あれも近くが見えていなかったのでしょう(その後白内障であることもわかりました)。誰もが通る道ですが、あまりにも厳しいです。
考えてみると、初めて私は年をとるので、すべて初めての経験です。今が一番若いとはよく言われることですが、私にとっては、今日が一番年をとっているのです。人は毎日、自分の最高齢記録を更新しながら生きているのですから。