命日って大切なのかも

生活

今日、11月13日は私の母の命日です。母は2015年の今日、亡くなりましたから、もう6年経ったことになります。何だか6年なんてあっと言う間だったような気がします。そして、例年こんなことはないのですが、今朝、弟から「今日はおふくろの命日だよ」と、ラインのメッセージが届きました。

命日に何も感じていないようだったが

弟は私が以前、今日はお母さんの命日だから、私の分までお線香を上げてね、とメッセージを送ったときは、なぜだかわからない様子でした。

私は実際にお線香を上げに行こうかと迷ったこともありましたが、弟は「何もわざわざ家に来なくても、墓参りに行けば良いじゃない」などと言っていたため、命日やお彼岸だからと実家に行くことはしませんでした。

いくら仏壇がある実家とは言え、弟1人のところに行っても仕方がないし、弟もどうしたら良いのかわからないだろうと思えたので、私は実家の仏壇に手を合わせることは諦めました。そんなことを考えている間に弟は結婚、肝心の実家はなくなってしまいました。

そんな弟が朝から命日についてメッセージを送ってきたので、やはり先日、病が見つかり弟も考えたのだろうか、などと想像してしまいました。

命日が考えるきっかけに

自分が元気なときは誰の命日でも半ば義務感が伴いますが(花を供えなきゃ、とかお線香をあげないと、などと思います)、年齢とともに健康に自信がなくなってくると、命日にはいろいろと考えさせられます。

特に親は自分と体質が似ていることが多いので、『お父さんは〇〇が原因で亡くなったな。自分も気をつけよう』となるように思います。

考えてみると、昨年の12月に夫の弟が脳梗塞の発作で倒れましたが、夫たち兄弟の父親の命日は12月5日で、弟が倒れたのはその翌日のことだったのです。夫の弟は3カ月以上入院を余儀なくされましたが、その後元気に退院しました。

これからは夫の弟にとっても、父親の命日が立ち止まって何かを考える機会になるのかもしれません。命日は亡くなった人が残してくれた貴重な機会なのだと考えると、初めて命日の価値がわかったような気がします。

命日は生きている人のため

命日に大切なのは、墓参りでも仏壇に線香をあげることでもなく、静かに亡くなった人と自分のことを考える時間かもしれません。手を合わせて静かに頭を下げると、自然になくなった人のことを考えられます。これは仏壇がなくても、お墓に行かなくてもできることだと思います。

以前は何も考えずにやっていたことでしたが、実は意味のあることだったのだと今になってわかりました。ところで弟は母の命日については、こうしてメッセージを送ってきましたが、父の命日については相変わらずです。

私の夫も、母の命日のことは言いますが、やはり父の命日については何も言わないです。これはどうしたことでしょうか。亡くなってなお、父の影は薄いのか、こんなことを考えているうちに、今日という日も終わってしまいそうですね。

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