暑さ寒さも彼岸までとは誰が言ったのか、お彼岸なのにとても寒いです。私が住んでいる地域でも昨日は雪になりました。先日の地震の影響で火力発電所が停止しており、そこにこの寒さで電力の供給が追いつかない恐れが出てきたため、昨日は初めて電力需給逼迫警報なるものが発令されました。
昨日はテレビのニュース番組で照明を〇〇%落として放送しています、などと言っていましたが、見ている分にはまったく不便はありませんでした。
スーパーでも節電中だった
今日買い物に行ったスーパーでは、チルドの商品棚の照明がすべて消されていました。通路の照明だけだと、こんなにスーパーは暗いのだな、と初めて実感しましたが、商品の鮮度に影響がないならそれで良いと思いました。私たちは家の外がいつでも明るいことに慣れてしまったようです。
それでいて自分の家の中では節電にいそしむのですから、実は本末転倒だったのかもしれません。テレビの中やスーパーの中は明るくないと、気分が暗くなるし不便だけど、自分の家の電気は自分がお金を払うからケチるわけです。しかし、個人が節電したところで、たかがしれているのではないでしょうか。
個人がチマチマ節電するよりは、企業が主体になって節電すると効率が良いのは誰でもわかることなのに、なぜ今の社会では個人に向けてお願いする形を取るのかわかりません。企業がやるべきことを個人に肩代わりさせようとしているのではないかとすら、思えてしまいます。
みんなが慣れるまで企業は節電すれば良い
私が小学生のころに石油ショックというのがあり、繁華街でもネオンサインの灯が消えたことがありましたが、あれは長続きしなかったようです。
企業、とくに接客業だとお客様に対して申し訳ないと思うのかもしれませんが、どんなことでも人間慣れていくと思います。究極は暑すぎるとか寒すぎるとかでなければ、そのうち我慢して慣れていくのではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。
慣れるまでやらないから、いつまでも明るくない世界に慣れないわけです。真っ暗闇では困る人も出るでしょうが(私も強度近視のため、暗いとものが見にくいです)、今ほど都心は明るくなくても良いように思います。それによく繁華街で見かける巨大モニターや電光掲示板って、本当に必要なのでしょうか。
日本は個人に責任を負わせすぎでは?
節電だけでなく、災害時のボランティア(もちろんボランティアをする人は立派だと思っています)なども私にはよくわかりません。やはり本当は政府がやるべきことを個人に肩代わりしてもらっているだけに感じられるのです。
今回はこの節電の要求に、すごく政府からの個人への責任の押しつけを感じるのですが、それは私の心が狭すぎるのでしょうか。
まず官公庁や大企業が節電をして、それでもダメな場合は個人に負担が行く、というのが筋道ではないかと思います。