アントニオ猪木さんが亡くなりました。今朝、テレビで彼の弟さんが最期の様子を語っていましたが、うなずけるところが多くて、印象的でした。
亡くなる前に、猪木さんは何か言いたげに口をパクパクと開いたそうですが、もう何を言っているのかわからなかったこと、そして一点をじっと見つめていたこと、この2つは私の母にもそのまま当てはまります。
母は何を見ていたのか
母は亡くなる少し前から、ある一点をじっとにらみつけていることがありました。これは病室に来る誰もが気づいていたことで、弟はこんなことを言っていたのです。
親父が迎えに来てたりして~。おふくろはそれがすごく嫌だったりして~。
母は入院してすぐに、普段とは違う言動を取るようになりました。聞いても無駄だと思い、誰も何を見ているのかとは尋ねませんでしたが、死期が近づいた人を見ると、自然とお迎えという言葉を思い浮かべるのはとても興味深かったです。
母はある宗教に入信していましたが、私や弟は特定の宗教を持ったことはなく、実家も次男と次女の夫婦だったため、お盆やお彼岸の意味すら考えたことがなかったのです。日本人には自然と死ぬときはお迎えが来て、極楽浄土に連れて行ってもらうという考えが根付いているのでしょうか。
母の口パクに自分の心が投影されたと思う
母が最後に口をパクパクと動かしたときは、私も母が何かを言い残したいのかと思いました。それまでも呼吸が苦しそうで、どちらかというと口をパクパクさせていたのですが、それとは違うように見えました。
何度も私は「お母さん、何?何が言いたいの?」と言ったというよりも、問い詰めたような形になりました。私は母の最期の言葉を聞いておきたい気持ちもありましたが、それよりも、もしかして母が私たちにありがとうと言って旅立とうとしているのかもしれない、と思う気持ちが強かったのです。
もう少しで私は「お母さん、私たちにありがとうって言いたいの?」と言いそうになったほどです。しかし、さすがにそれは思いとどまりました。明らかに私の心が、母にお礼を言わせたがっていると自分でもわかったからです。私には母が私に対して持っていた不満がよくわかっていました。
母は常に、他の家の母娘を羨んでいました。常に母のことを気にかけ、毎日のように連絡をしてくる娘。それを少し嫌がりながらも、本当のところでは感謝している母親。このような母と娘が私の母の理想だったのです。それとは違う娘(私)に対する不満が母にはつもりに積もっていたわけです。当然、私と母の仲は、大変良好というわけにはいかなかったのです。
しかし、そんな私も母が具合が悪くなり、入院先がない状態になったときは、毎日実家に通い、家事をしながら母の入院先を探しました。最初の入院先でトラブルになり、紹介状が書いてもらえなかったため、一から外来にかかり検査をしてもらって、やっと入院することができたのです。
私は自分の頑張りを母に認めて欲しかったのでしょう。母に一言、ありがとうと言って欲しかったのでしょう。だから、最期の母の口パクを見たとき、お礼を言おうとしていると、考えたのだと思います。
無理に意味をつけなくて良かった
しかし、今考えると私が母のためにしたことは、母のためだけではありません。私のためでもあったのです。母の死後、一生懸命にやったのだから、と自分を許すためにしたことだったのだと思います。だから、私は母がお礼を言おうとしている、と考えるのをやめにしました。母に対しては最後にこう言いました。
お母さん、ごめん。なんて言っているかわからないや。
こういう間の抜けた答えをすることをとても嫌う母でしたが、わからないものはわかりません。このとき、私は見送る側でしたが、きっと思ったよりも早く見送られる側になるでしょう。どうせ自分もいつかは死ぬのですから、母が言おうとしていたことをわからなくても、いつまでも気に病むことはないと思いました(それに、本当に何か言おうとしていたのかも怪しいです)。
少し、死が身近になったような…
今回アントニオ猪木さんの死で、人間は結構同じようなプロセスを経て亡くなるのだとわかりました。猪木さんの弟も、何を言っているのかはわからなかったわけだし、死ぬときはこういうものだと思えば、それで良いと思います。
強いだけの自分ではなく、病気をして弱った自分も隠すことがなかったアントニオ猪木さん。その死の様子もきっと自然なものだったのでしょう。母と同じだ、と思うと一層親しみがわきました。心よりご冥福をお祈りします。