もう、何度も書いていますが、夫の叔母が亡くなりました。亡くなって思い返すと、叔母と叔父はとても仲が良かったのだと思います。
叔父と叔母がイチャイチャしていた思い出
私と夫の結納のとき、両親を早く亡くした夫とともに叔父と叔母が私の実家にやって来たのです。そのとき、私への結納金の額を知って、叔母が叔父にこんなことを言いました。
いいな~、ゆみこねこちゃんはこんなに結納金がもらえて。私なんてこの10分の1だったんだよ。
叔父は「あの頃と今では物価も違うだろう。お前のことは長年、着せて食べさせてやったんだ。変な文句を言うんじゃないよ」と言い返していましたが、聞いていた私は大変居心地の悪い思いをしました。あのときの心地の悪さが、自分でも何なのかよくわからないまま、長い年月が経ちました。
今思うと、あのとき私が思ったのは『人前でいちゃつくなよ』ということだったのではないでしょうか。私と夫の結納は32年前のことです。叔母は51歳だったことになります。
今は懐かしく思い出せる
あのときまだ若かった私は、叔母の嫉妬とも取れる発言が嫌でしたが、今では可愛らしいとすら思います。私が51歳のとき、夫に対してあのような内容の発言をすることはありませんでした(娘たちが誰も結婚していないせいもあるかも…)。
叔母が亡くなったせいで、急にこんなことを思い出したのかもしれません。叔父はその後もことあるごとに、叔母を実家に連れて行くために運転をし(叔母は免許を持っていない)、通院が必要なときはすべて叔父が連れていきました。言動は昔の男そのものだったのに、随分とこまめに叔母の世話をしていたのです。
自分でも「何だか知らないが、面倒をみることになっちゃうんだよ」と言っていましたが、これは2人の仲が良かった証拠だと思います。今回叔母が入院してから、叔父はみるみる元気をなくし、亡くなったと知らされてからは体調を崩してしまいました。
あまりにも具合が悪くなって、葬儀の最中も座っていられなかったほどです。
自分たちはどうやって終わるのかと考えた
叔父と叔母を見ていて、長い間夫婦をしていれば、いくつかのいざこざが起きるのは仕方のないことだとわかります。叔母も同居していた姑と折り合いが悪くて苦労したそうです。
しかし、それを乗り越えることで最初は赤の他人だった2人がかけがえのない家族になることも、また事実だとわかります。叔母はもう亡くなっているわけですから、叔父の悲しみを知ることはありません。
叔父がこの悲しみを一番伝えたい相手は叔母でしょうから、叔父の悲しみは誰にも受け止めて貰えないままになってしまうのではないでしょうか。
どんなに頑張っても、夫婦が同時にこの世を去ることはなかなかできません。結婚したときから、それはわかっていることなのです。何だか小さくなった叔父の姿を見ていると、自分たちの終わりのことを考えさせられました。
体調が悪すぎて、とうとう火葬場にも行けなかった叔父。葬儀の最後には車椅子に乗せられていた叔父。すぐには無理だと思いますが、また大河ドラマの話などができるようになれば、と思っています。