今日は朝からどんよりと曇り空が広がっています。夫は休日ですが、いつも通りに起床。草刈りをするそうです。草刈りに忙殺されるのは毎年のことですが、今年夫は思うように草刈りができないと嘆いています。
終いには月に1度の通院や散髪に行く時間が惜しくなったようです。今日も雨が降るまでの間で良いから、と草刈りに出かけました。
夫は草刈りのために生きているのか?
考えてみれば昨年からコロナが5類に移行。生活に様々な制限がなくなりました。地域の祭りも自治会の活動もほとんど元通りとなり、それが夫の草刈りの時間を削っているわけです。
夫は草刈りが好きだと常々言っているので、草刈りの時間が削られるのは気の毒だと思います。ですが、草刈りと言うのは生活をしやすくするための手段です。あくまでも夫や私たちの生活が主役のはずです。
しかし、今の夫を見ているとまるで草刈りをするために、生活をしているように見えます。草刈りをする体力を養うために眠ったり、食事をしているように見えるのです。夫を見ていると「本末転倒」という言葉を思い出さずにはいられません。
夫がいなくなったら草刈りは誰がする?
まあ、私も夫のことばかり言っていられません。私も毎朝家の中を掃除していますが、これがいつの間にか私を強く縛っているのです。快適に生きるためにしているはずだった掃除ですが、時折掃除をするために生きているかのようになっています。
夫を見て自分を振り返っているわけですが、ここで大きな違いに気が付きました。程度の差があるかもしれませんが、家の中の掃除は誰にでも可能です。もし私が掃除ができない状態になっても、代わりに誰かがやってくれるはずです。
最悪、家の中の掃除はそれほど懸命にやらなくても、大きな問題にはなりません。しかし、草刈りはご近所問題(虫が湧くとか動物の住処になるなど、苦情が来ることがあります)に発展することがあります。地方の小さな街で暮らす以上、草刈りは無視できません。
しかし、家の中の掃除と違って、草刈りは誰にでもできるとは限りません。夫は草刈りのとき、草刈り機を使っています。以前は刈払機(自分の身体に密着させて使う、小型のもの)だけで草刈りをしていましたが、とうとうそれでは間に合わなくなりました。
私には草刈り機も刈払い機も自分で扱える気がしません。夫も絶対危険だからやるな、と言っています。そうすると、もし夫が先に亡くなったら、その後草刈りをできる人が我が家にはいなくなります。夫には弟が2人いますが、どちらも草刈りなどしたことがありません。
まだ今のままで大丈夫かも…
亡くならないまでも怪我や病気で動けなくなる可能性はあります。そうなったら夫はどうするつもりなのかな~、と思いますが、言うとまた面倒なので言っていません。
私はそんなことばかり考えているようですが、本当に夫が亡くなったら草刈りをどうすれば良いのだろう、と不安な思いに駆られます。
別に夫が私より先に亡くなると決まっているわけではないので、あまり気にしても仕方がないとは思っています。きっと私が先に亡くなって娘たちだけになれば、さすがに夫も草刈りをしなくても済むように考えてくれると信じたいです(とても娘たちに草刈りを託すとは思えないです)。
ご近所には90歳を過ぎても、毎日畑に行っている方がいます(畑に行けないとイライラするそうです)。夫が同じ年まで生きるとしたら後30年あります。そうしたら、まだまだこの生活(草刈りのために生きている生活)でも良いのかもしれませんね。