驚いた!アルコール依存症の定義について

生活

元アイドルグループのメンバーだった男性が、先日追突事故を起こしました。男性がアイドルグループから脱退した原因は、もとをたどると飲酒でしたが、今回も飲酒をしてアルコールが抜けきらないうちに大型バイクを運転。事故に至ってしまったのです。

自分で認めなければ依存症ではない

彼を語る上で度々登場していたアルコール依存症ですが、実は彼は病院でそのような診断を受けたことはなかったそうです。アルコール依存症であるかどうかにはいくつかの目安があり、患者はそれをもとにした質問を受けます。

しかし、それに当てはまるかを考えて答えるのは自分自身です。例えば酒を飲んでいないときに離脱症状(手の震えなど)があるか、という質問があるそうですが、これはいかようにも答えられるはずです。

震えがあるのにないと答えることもできるし、震えがあることを認めるのが嫌なあまりに常にアルコールを摂取し続けるかもしれません。そして依存症だと言う診断からはされず、治療の始まりも遠ざかってしまうでしょう。もし依存症の患者に家族がいるとしたら、きっと失望するに違いありません。

私の父も依存症だった?

なぜ私がこんなことにこだわるのかと言うと、父のことを思い出したからです。母は父のことを常にアル中と呼んで、怒っていました。確かに父は酒を飲んでいるときと、シラフのときの差が激しかったです。

酒を飲んでいれば、陽気でおしゃべりな人でしたが、シラフのときはおとなしくて口数が少ない人で、まるで別人のようでした。常に酒が切れることはなく、それが家計を圧迫したのか、夫婦喧嘩も日常茶飯事でした。

しかし私が少しおかしいなと思ったのは、父が退職するときだけでした(父は49歳で倒れて働けなくなったので、やむなく退職することになったのです)。母が会社に片付けに行きましたが、机の引き出しからワンカップの空き容器がゴロゴロ出てきたそうです。

父は会社で仕事の合間に酒を飲んでいたのでしょうか。しかし、父が自分で申告しなければ、父もまた依存症ではないことになります。母の怒りは見当違いということにされてしまったかもしれません。

自分で認めることに意味がある

結局自分が認めなければ、依存症に立ち向かうことはできないので、依存症なのかは自己申告に基づいて診断されるのだと思います。

診断を先延ばしにして、私は依存症ではないからとそのままの生活を続けるのか、依存症と診断されることで自分から立ち向かっていくのかは自分で選べと言うことなのでしょう。家族は何とかして欲しいという願いが強いために、早く診断して治療して、と思いがちですが、それでは他力本願のままなのかもしれません。

依存症はぱっと治るものではないようです。すでに自分の脳がアルコールを摂ることで、気持ちよくなり、幸せになると知っているために、もっと幸せになりたくてアルコールを求めるのだと言います。

だから、依存症との付き合いは一生続くそうです。一生続くからには、覚悟が必要です。それには最初に覚悟をしなくてはなりません。

最初に自分はアルコールに依存していると認めることには大きな意味があるようです。先日事故を起こした男性も、早く自分がアルコール依存症であることを認めると良いと思います。周りの人たちにつらい思いをさせるのはお終いにして欲しいです。

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