昨日、私は隣家との境の雑草をむしっていました。隣家というのは貸家で、昔ながらの平屋が3件並んでいます。その3件から丸見えの部分(反対に我が家からはあまり見えないのでつい草むしりがおろそかになります)が草ぼうぼうでは申し訳ないと思って、草むしりに精を出していたのですが、そこへ近所の肉屋さんの奥さんがやって来て、私に「あら~、草むしりしているの?大変ね」と言いながら、やたらと貸家のうちの1件を気にするのです。
貸家に住んでいる高齢女性が心配だ
何かと思えば、その1件に住む高齢女性(夫が亡くなってから一人暮らしになった)の安否が気になると言います。聞けば先日、雨の中その高齢女性が転倒、大腿骨骨折の恐れがあるが、現在入院できる病院が見つからないとのことです。さっきから声をかけているが返事がない、もしかすると中で大変なことになっているのではないかと、肉屋さんは恐れていたのです。
幸い(?)、その高齢女性は普段から玄関の鍵は閉めても、裏の窓の鍵は開けているそうです。肉屋さんはこんなことを私に言いました。
窓から入って様子を見たいのよ。あなた、証人として一緒にいてくれないかしら?
言われるがままに私は窓辺に立ってことの成り行きを見守りました。古い家でしたが、部屋の中はきちんと片付き、家を留守にしていることは一目瞭然でしたが、肉屋さんは追求の手を緩めず、部屋だけでなく風呂場やトイレの中まで声をかけながら確認したのです。
結局、高齢女性は離れて暮らす娘の家にでも行ったのか、もしくは入院することができたのだろうと結論が出ました。安否確認をするなど私にとって初めての経験でしたが、何事もなく、本当に良かったです。
安否確認をする方も高齢
安否確認をしたいと言った肉屋さんも80代後半の高齢女性です。自身も骨折で数回入院したことがあります。実は窓から入りたいと言った時、私は肉屋さんの方が心配でした。窓は掃出し窓ではなく、かなり足を上げる必要があったのです。だから自分が入ると言ったのですが、肉屋さんは大丈夫だからとドンドン中に入っていきました。
夫にこの話をしたら、「危ないな~。自分だってもう高齢者なんだから、人よりも自分を心配した方が良いんじゃないの?」などと言っていました。それもそうですが、きっと肉屋さんは年を取って骨折したときの不安や苦しさがよくわかっており、だからこそ転んだ高齢女性を放ってはおけなかったのだと思います。
私は高齢になったとき、どうなるだろう?
高齢者の気持ちは高齢者にしかわからないのかもしれない、こんなことを思うと何だか心が苦しくなってきました。私がもし一人暮らしをしていて、転倒でもしたら、誰がこんな風に思いやってくれるのでしょう。
転倒した高齢女性は生活も苦しく、ライフラインも止まっていると肉屋さんは言っていました。だからなおさら心配なのだと。それでも、近所にいる赤の他人がこんなに気にかけてくれるのは、幸福なことなのだと思います。
転倒した高齢女性は、私が草むしりしていると必ず顔を出して労ってくれ、たまには畑でできた野菜を分けてくれました。つまりは気の良い人なのです。その人が安心して暮らせないなんて(転倒したときにすぐに入院できないのも、ライフラインが止まってしまうのも困ります。年金だけでは暮らしていけない証拠ではないでしょうか?)、これから先、日本はどうなるのか、高齢になったときの私はどうなるのか、考えてしまいます。