便器で手を洗う父

実家

私の父は73歳で亡くなりました。もう亡くなって20年近く経ちます。亡くなるまで穏やかな生活を送っていましたが、やはり認知症のような症状が出ていたようです。

母の必死の訴え

あるとき、実家に帰ってトイレに入ったところ、張り紙がしてありました。それは父に宛てて母が書いたものでした。

〇〇さん(父の名)
トイレの便器で手を洗わないで下さい

母にどうしたのかと聞いてみると、何度注意しても便器の中で手を洗うので、忘れないように張り紙をしたのだと答えました。父はトイレの水を流すと、手を突っ込んで洗うのだそうです。これは認知症だろうと母も思っていたようです。

私はそれなら、張り紙をしても無駄ではないかと思い、そう母に言ったところ、母は苦々しい顔をして黙ってしまいました。いつも清潔を心がけている母でした。今考えると、無駄だとわかっていても、張り紙をせずにはいられなかったのでしょう。

便器は本当に汚いか

先日ブログを読んでいたら、それまでしっかりしていたお母さんが便器の中で洗濯をしていてショックを受けたという記事があったので、こんなことを思い出しました。

便器は私たちの出す排泄物をすべて引き受けて、処理をしてくれるところです。汚いと思うのも無理はありません。

でも、私は思ったよりもショックを受けませんでした。一緒に住んでいないせいもあったでしょうが、私は子どもが赤ちゃんだったときに、布おむつに付いたうんちをトイレに流していました。そのときに布おむつの端を手で持って(おむつは水の中に浸った状態です)、そのままトイレの水を流していました(おむつが流れてしまうと配管が詰まる原因になります。もし実行する場合は自己責任でお願いします)。

そうすると、うんちだけが水に流れるので後の洗濯が楽になります。それでも水を流すだけでは落ちきれないことがあるので、便器の中でもみ洗いをすることもありました。まさに便器の中で洗濯をしていたわけです。

これを不潔と感じる人もいるかもしれませんが、私は風呂場や洗面所でうんちがついたおむつを洗う方が嫌でした。清潔と不潔というのは、突き詰めて考えていると、境界線が曖昧になってくるように私は思います。

みんな同じ道をたどる

便器で手を洗う父を嫌がっていた母は、亡くなる直前には、自分の便通をとても気にして、私の顔さえ見れば便の話をしていました。それは実に細々とした話で、私は聞いているだけでうんざりしたものです。この話を聞いていると、便器の水で手を洗うくらいはどうと言うことはないように思われました。

しかし考えてみると私たちは、普段は排泄のことを避けていますが、これができないと命にも関わります。亡くなる前の母が排泄に問題を抱えて、話題にするのは仕方のないことだったのかもしれません。

私は排泄のことをそんなにタブー視していたつもりはありませんでしたが、あまりにもその話ばかりされたので、ちょっと抵抗を感じてしまいました。いずれ自分も同じような道をたどるわけですから、もう少し、大きな気持ちで話を聞いていれば良かったと思います。

父や母のことを思い出すと、確かに認知症ということを考えずにはいられませんが、そんなに私と違わないのだな、ということも感じます。まあ、程度が軽かったから、そんな呑気な感想しかないのでしょう。世の中にはもっと大変な思いをしている人がたくさんいるのですから、これは1つの思い出話として聞いて下さい。

良かったらクリックしてください。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ
にほんブログ村

よろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました