一昨日の1月16日、13歳の女子中学生が自分の母親を刺殺するという事件が発生しました。スマホのことで親子はトラブルになっていたということです。今朝のワイドショーでは、口々にコメンテーターがスマホの使い方でトラブルになる親子は多いこと、そしてトラブルになったときにスマホを取り上げる親は多いが、それをすることで溝は深まると話していました。
スマホがないと生活できない?
思春期の子どもにとってスマホを取り上げるということは、自分の全世界を否定されることに等しく、その苦痛を上手に言語化できない子どもは容易に暴力的な行為に走るのだそうです。確かに我が家の長女(今年で30歳)が中学生の頃から、クラス内、部活動の連絡もすべて携帯電話を使っていましたから、現在の子どもたちがスマホがないと何もできないと思ってしまうこともあるのでしょう。
しかし、すべてをスマホに委ねる生活は、逆に言うとスマホがなければ何もできない生活です。私はそんな生活がかえって不便に感じます。長女は地図アプリがあるおかげで、初めて行く場所でも道に迷わないそうですが、私は地図アプリを見ながら歩くことはできません。見ながら歩くとスマホに気を取られて危ないです。
かつて私が初めての場所に行くときの対策は、とにかく早目に家を出ることでした。これで現地で道を聞くなどすれば、なんとか約束の時間に間に合わせることができます。これで受験も面接も初めてのバイトもすべて遅刻せずに行っていました。
人と待ち合わせをするときは、約束の場所と時間を前もって綿密に決めておきました(改札口で待ち合わせするなら、外か中か、何口か、まで決めるのです。これをきちんとしていないと、会えなくなる可能性があります)。会えなくて困った、ということはそんなになかったと思います。特別な道具などは必要なく、簡単な生活でした。しかし、現在こんなことを言っていると、行き当たりばったりだとか適当だとか言われてしまい、人間性を疑われてしまうのかもしれません。
ただ、明らかに人間はスマホがなくてもなんとかする能力が備わっており、スマホがなければ何もできない、と感じているのは思い込みに過ぎないはずです。私たちはスマホがなかった時代のことを思い出すのが面倒なだけなのです。そして大勢の若者たちはスマホがなかった時代のことを知りませんから、スマホのない状態が怖いのかもしれません。
頼り過ぎは怖いと思う
最近ではスマホ決済の普及で、スマホだけ持っていれば財布は要らないと言う人が増えています。確かに、いくつもの持ち物を失くさないように気を配るのは大変です。我が家の長女のようにそういうことがとても苦手な特性を持っている人もいるでしょう。
しかし、私にとってはスマホに頼りすぎる方が怖いのです。スマホももとは人間が作ったもので、万能でも完全でもありません。何かの拍子に、スマホが使えなくなったらどうするのでしょう?通信手段も支払い手段も一度に失って身動きが取れなくなってしまわないでしょうか。それが自宅から遠く離れた場所で起こったら…
オール電化住宅に住んでいると、電気が止まったときに本当に何もできなくなるのと似ているような気がします。
もう、スマホがない時代には戻れませんから、スマホを使うなとは言いませんが、スマホが使えないときに自分はどうするのか(どうやって連絡を取るのか、支払いをするのか)ぐらいは、考えておいても良いような気がします。
先程の女子中学生はスマホぐらいのこと(他にも原因はあるかもしれませんが…)で自分の人生に大きな傷を作ってしまいました。別にスマホがなければ、生死にかかわるわけではありません。それなのに、彼女は自分の母親を殺してしまいました。どんな母親であったとしても、殺してしまえば、一生その事実を背負って生きていかなくてはなりません。
スマホにこんなに重きを置く生活、これは本当に便利な生活なのか、もっと人間は考えた方が良いでしょう。よく私の夫は「便利が不便」という言葉を使っていますが、スマホに振り回される人もいる、今の生活を言い表す良い言葉だと思います。