本当に久しぶりに読書をしました。本屋さんで散々迷って買ったのは、垣谷美雨さんの「あなたの人生、片づけます」です。最近よくこの人の名前が目につくし、タイトルがどれも主婦好みであるように思われます(少なくとも私は気持ちが惹かれます)。
親しみを感じる登場人物
ざっくり言うと片づけ屋を営む50代の女性、大庭十萬里(おおばとまり)によって片づけられない人たちが、部屋を片づけようと思えるようになるまでの様々なことを描いたお話です。片づけられない人として、独身のOLや妻に先立たれた木魚作りの職人などが登場します。
どの人も部屋が片づけられなくなった背景に、心の問題が隠されています。片づけの指導をされることで、どの人も心の問題まで一緒に解決されていきます。 私がもっとも親しみを感じたのが片づけ屋の十萬里です。十萬里は掃除も好きだけど、汚い部屋が平気になってしまう人間の心理の方に興味があると書かれていたのが、私の心に強く残りました。
私が親しみを感じる訳とは
かつて私は掃除は掃除であり、心と関係あるとは考えていませんでしたが、 主婦歴20年を過ぎた頃から、生きている人間が暮らしているのだから、家の汚れや散らかり方は人間とリンクしているのではないかと考えるようになりました。だから十萬里の興味には深く同感するし、親しみも感じます。
例えば子どもが成長すると、要らなくなるものがたくさん出ます。すべてをいつまでも部屋に置いておくわけにはいきません。誰でもしまうとか、捨てるとか、さもなければ譲ったりするはずです。人の暮らしと家はリンクしているわけです。
また、忙しいときには気にならなかったのに、家にいることが増えると家の汚れが気になることは誰にでもあると思います。これは心の持ち方で汚れに対する見方が変わるからです。大変な状況になると掃除どころではないというのは、心も家とリンクしている証拠だと思います。
掃除や片づけに対する私の考え
私の場合は、いくらこまめに片づけをしていても、定期的に見直すと家の中に不用品が増えていました。不要品を全部分別してゴミに出すだけでも、大変な手間がかかりますから、一時はなんでこんなことを延々としなくてはならないのかと腹が立ったこともありました。
そのうち子どもの不要品がたくさん出たら、それは子どもが成長した証の廃物だと思うようになりました。いくら面倒でも、自分はお風呂に入って清潔にしますが、家は自分でそれができません。だから代わりに誰かが清潔にしてあげないといけないのでしょう。
家は大きな容れ物に過ぎないと言えば、そうなのですが、毎日雨や風、寒さや暑さから私たち家族を守ってもらったという感謝の気持ちが長い年月をかけて生まれたのかもしれません。老廃物を取り除く、つまり掃除や片づけをするのは、私にとっては家に対するいたわりと感謝の気持ちです。
そして老廃物が出るのは生きている証拠です。もし死んでしまえば、もう老廃物も出ようがありません。そう考えると、老廃物が出ること自体が愛おしく感じられるようになりました。
現実はこんなもの
まあ、実際の我が家は殺風景な古い家です。厳密には私は殺風景だとは思っていませんが、家族にはよくそう言われます。
それに自分の家でも、家族のものは勝手に捨てられないし、片づけられません(後で問題になります)から、じれったい思いをしているのも事実です。いくら家と人がリンクしているといっても、片づけをしたところで、生活までが片づくことはレアケースでしょう。
大庭十萬里のようには中々いかないのが現実です。でも、コロナ騒ぎで大変だった人ほど、こんな本を読んで爽快感を味わうのも良いのではないでしょうか。