不安材料が次々と出てきたけれど、それでも行方不明の女の子の無事を願い続ける

祈る人 生活

3年前に山梨県のキャンプ場で小学1年生の女の子が行方不明になった事件。急にここに来て事態が動き出しました。同じ母親としていろいろと感じることがあったので、このブログを始めた頃から、数回ですが自分の思いを記してきました。

頭蓋骨の一部、右足用の運動靴、そして昨日には左足用の運動靴と片方の靴下が見つかりました。女の子のお母さんはいつも報道陣の前ではとても落ち着いて雄弁といった印象でしたが、昨日の夜に放送されてたのは泣きじゃくる姿でした。

泣きじゃくる姿に思ったこと

いつも自分の娘が無事に戻ってくるのを信じている、と語っていたお母さんでしたが、不安材料が続けざまに出てくるため、緊張の糸がプツンと切れてしまったようでした。そのとき、お母さんは報道陣の方の前では、なるべく多くの言葉を届けたいと思い、自分の感情は隠してきた、と口にしていました。しかし、今日は我慢ができなくなってしまったと。

お母さんは、娘を取り戻すために、できるだけ多くの情報が必要だと考えたのだと思います。そのためには、自分が多くを語り、それが報道されれば娘のことを大勢の人の記憶に残すことができると考えたのではないでしょうか。

その役目をお母さん1人が担うのはきっと大変だったはずです。報道陣の前に出るということは、自分の顔を世間にさらし、好奇の目で見られることにつながります。批判も受けるでしょう。しかし、お母さんは自分だけが前に出ることで、他の家族は守りたかったのでしょう。

やはり願い続けるしかない

最近はコロナ禍で他県に行くこともビラ配りも難しくなり、できることが限られてしまったため、お母さんをはじめ、家族の皆さんはきっと苦しかったと思います。お母さんは行方不明の女の子を探しつつ、現在の家族を守らなくてはいけませんでしたから、その苦しさは一層強いものだったでしょう。昨日、泣きじゃくっている姿からはそれが十分に感じられました。

だから、どうか無事に女の子が帰ってきますようにと願い続けるしかありません。女の子が行方不明になった当時、お母さんに対して、目を離したのが悪いなどという意見もあったようです。しかし、私もかつて幼い子どもを育てた経験があるから思うのですが、片時も目を離さないことなど不可能だと思います。

長い子育て期間中には、気が緩むこともあるし、疲れてしまうこともあります。誰にでもそれはあり、大事に至らなかったのは、単に運が良かっただけかもしれません。だからこのことは決して自分と無縁の出来事ではないと思います。誰にでも可能性はあるのです。

もう、十分に頑張ったのですから、お母さんを始めとする家族の心が解放されて欲しい、ホッとできるひとときを持って欲しいと私は思います。そのためには女の子が無事に帰宅することが必要不可欠です。

女の子にはお姉さんがいるそうです。お姉さんもきっと今まで大変な思いをしたことでしょう。私には何もできず、ただ願うことしかできません。しかし、私のように女の子の家族を心配している人はたくさんいると信じています。願うこと、祈ることが何かの力になれば良いのですが。

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