新型コロナウイルスのせいで、最近自粛という言葉をよく耳にするようになりました。暗いムードになるだけでなく、苛立ちを感じる人もいるかもしれません。
自粛するかどうかは、自分で決めたい
私も苛立ちを感じる一人ですが、なぜなのか自分で考えてみました。自粛とは自分から進んですることだと私は思っていました。だから、自粛を要請されても、必要ないと思えばそれを拒否することができると考えていたのです。でも、最近では埼玉県で格闘技イベントを主催する団体が自粛要請を拒否した際に、行政がそれを非難するような態度を示していました。
そんなにイベントを行うのがダメなら、いっそのこと禁止にしたらよかったのです。それをしないであくまで強制はしないが、イベントを行わないで欲しいという態度がどこか責任転嫁や丸投げという言葉を連想させて嫌な感じを与えたのではないでしょうか。自分が悪者になるのは嫌だという逃げ腰の政治家の姿を見て、気持ちがよい人は一人もいないはずです。
何が不要不急の外出なのか、わからない
不要不急の外出を避けて欲しいというのも、私は耳にする度にイラッとします。一体どんなことが不要不急に当たるのか、それは人によって違うはずです。明日にできることは明日に延ばす、それができればみなそうするでしょうが、例えば食料品の買い出しは多少延ばしたところでたかが知れています。一生食べないでいるわけにはいかないので、いつかは出かけないとならないでしょう。
それを律儀な日本人は、外出してはいけなくなるから、と買い出しに走るのです。家にこもってすごさなくてはならないから、と普段より余計に買い込むので、会計には時間がかかり、スーパーはさらに混み合って、行政が心配する人の密集が起こってしまいます。
はっきりとコレとコレはダメ、コレは場合によっては認めると線引きをしてくれれば、人はこんなにも右往左往しないはずです。それを曖昧に、やさしくいうから、人は混乱します。
ストレスは溜まるけど…
曖昧な言葉に踊らされているうちに、得体の知れない病気が忍び寄ってきているのですから、イライラしても当然です。ウイルスに感染しなくても、ストレスから別の病気になる人が増えるのではないかと心配です。現に私は夜はよく眠れないし、歯茎が腫れて痛いです。
ただ、私の生活はもともと専業主婦で、自宅ではもっぱらクラウドソーシングの仕事をしているので、生活自体は今までと変わりはありません。心だけが乱されているわけです。ほかの人よりましな状況だといえます。
私は今、この状態を乗り切る力がまだ残っているかを試されているように感じています。一体なぜ、誰に試されているのかはわかりませんし、この状態を乗り切った先に何が待っているのかはわかりません(まあ、生きていれば乗り切ったということになるのでしょう)。
多分、乗り切ったからといって、ご褒美はないと思いますが、もっと年を取ったときに、若い者に語る武勇伝ができると思って、がんばっていこうと思います。