3月15日の夜、夫の叔母がどうしても我が家で仏壇に線香を上げたいと言ってきました。もう何年も死んだ母親(夫の祖母です)にお参りをしていないから、と言うのです。もうすぐお彼岸ですが、ちっともコロナは収まっていませんから、一瞬どうしようかと考えてしまいました。
私や夫はまだ50代ですから、コロナに感染しても生還できる可能性が大きいですが、叔母は昭和15年生まれの80歳です。どうしてもこちらが気を使ってしまいますが、昔から1度言い出したら聞かないのを夫もよく知っています。それで気が済むならと考えて、「どうぞ」と返事をしました。
80歳になっても実家が大切?
昨日の3月16日の午後に叔母は長男に連れられてやって来ました。長男はきちんとマスクをしていましたが、叔母はマスクもなし、以前と何の変わりもありませんでした。母親の仏壇に線香を上げる、お参りをしたいと言いはる叔母を前に長男はかなり考えたと言います。
母親である叔母も心配だし、何かあったら私たちにも嫌な思いをさせてしまう、と考えたようですが、結局は言い出したら聞かない叔母の性格に負けてしまったようです。叔母は数年前から認知症を発症しています。進行を遅らせる薬を飲んでいて、普段の生活には支障はないようですが、(持って生まれた性格と相まって)やはり周りの空気を読むようなことはできないのでしょう。
私たちは夫の実家の仏壇は引き継ぎましたが、祖母が長年住んでいた家は取り壊してしまいました。もう叔母にとっての実家はないのですが、それでも仏壇があって手を合わせることができれば、それを叔母は実家だと認めるのでしょうか。私は何だか不思議で仕方がありませんでした。
実家はいつかなくなるもの
私の母は生前、同級会に出席したついでに実家に立ち寄ろうとしたことがあります。母の実家は新潟県にあるため、普段は気楽に帰ることができません(私の実家は埼玉県内にありました。新潟まではそれほど距離はないように思いますが、やはり近所とは言えないでしょう)。
母が久しぶりに行ってみると、実家は跡形もなくなっていたそうです。驚いて近所の人に聞いてみると、少し離れた場所に新築したということを知らされました。近所の人に教えられた家を尋ねると、確かによく知っている兄嫁が顔を出しました。
家に上げてもらってしばらく話をしましたが、とうとう母が帰ると言い出すまで、1杯のお茶も出てこなかったそうです。もう、代替わりをした実家は自分の実家ではないんだなと悟ったと、母は言っていました。
私自身、幼少期を過ごした実家は弟の結婚によりあっけなくなくなってしまいました。実家というのは決して永遠不滅なものではなく、生き物と同じでいつかはなくなってしまうものだと私は思っています。そんな私からすると、実家にこだわる叔母の姿には、違和感すら覚えたのです。
幸せならいいじゃない
しかし叔母は我が家に来られてご満悦といった表情でした。1時間足らずの滞在だったので、コロナの心配もそれほどないのではないかと思います。認知症を発症して、歩行もかなり危なっかしくなっていた叔母。常に長男が手を引いたり、身体を支えたりしていましたが、そうされている叔母は長男を信頼して、とても幸せそうでした。
叔母を見ていると、人の幸せって何だろうと考えさせられます。叔母が幸せで本当に良かったと思いますが、多かれ少なかれ幸せは誰かの犠牲の上に(今回の訪問も、連れてきてくれる長男がいて初めて実現したわけですから)成り立つのではないかとも思いました。
しかし、叔母の幸せにはコロナも介入できないのですから、大したものです。
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