私が住んでいるのは埼玉県の南西部にある市です。人口は約15万人、大都市とは言えませんが、それほど小さくもないと私は思います。
そんな市内でもここ最近はコロナに感染する人が増えています。つい先日は1日30人まで増えました。いよいよコロナが身近なところまで迫っている、と感じて怖いのですが、同時に不思議でもあります。
実際に感染した人のことを何も知らない
私は今自治会の班長をしていて、各家庭に広報紙などを配っています。もし、身近にコロナに感染した人がいるなら、少しは情報が入ってきても良いはずですが、コロナについてはまったく聞いたことがありません。
小学生と中学生の子どもがいる近所の主婦も、まだ実際にコロナに感染したという話は聞いたことがないと言っていました。ただし、少し欠席が長引くとコロナではないかと噂はされるそうです。
実際にコロナに感染した人のことは知らない、でも噂だけは耳に入る、これは一番不安を掻き立てられる状況ではないかと思います。
私が住んでいる地域はかつては農村で、かなり昔から人々が生活をしてきた場所です。つまり、昔ながらの土地なので、もしコロナに感染しても決してそれを口にできないのではないでしょうか。
もしコロナに感染したと言おうものなら、その後村八分にされる、ここに住んでいる人たちは本気でそう思っているのでしょうか。
私は実際にこの土地に30年近く住んでいますが、別に特に意地悪な人がいるわけではないです。どちらかと言うと、せっかく若い人が住むんだからと、暖かく見守ってくれる人が多かった印象があります。
それでも、コロナから回復した後の近所の人の視線に何かを感じてしまうのかもしれません。
コロナに感染して怖いのは、治った後?
自分が感染する心配だけでなく、感染した後の人の目を心配するのは、どことなく日本的な感じがします。あからさまな差別だったら、はっきりと抵抗できますが、実際にコロナに感染した後の人に差別をする人はそれほどいないように思います。
そんなことをすれば、自分が他人から何と言われるかわかりません。多くの人はコロナの人に何を思っても、胸の中にしまうでしょう。しかし、隠していても人の心の中は、ふとした拍子に表へとにじみ出てしまいます。
そのにじみ出るものが私たちは怖いのでしょう。これがいけない、これが嫌だとは言えないほどの何か、コロナの前にはなかった透明なアクリル板のような壁ができてしまった感じ、コロナに感染した後でこの感じを味わうのが怖いのです。だから私の住んでいる地域ではコロナに関しては皆、口をつぐんでいるのかもしれません。
そして、何とか免罪符を手に入れたいと、地域の高齢者の方々は積極的にワクチンを接種しています。副反応のことは気にならないそうです。近所のかかりつけ医に相談したら、副反応はほんのわずかの人に起こることで、大体の人は大丈夫ですと言われたから、と言っていた人もいました。
絶対大丈夫だから、早く接種しなさいよ。こんな生活寂しいじゃない。また、元のような生活に戻りましょうよ。
このように、私も励ましてもらったのです。
コロナになっても正々堂々としていられる世の中に
人が生きている限り、ケガや病気はつきものです。感染症だって、コロナが収まっても次にどんなものが流行るのかは誰にもわかりません。だから私は、どんな病気になっても隠さずに済むような世の中になると良いのにな~、と思います。
自分が病気で苦しければ、治療を堂々と受けて、治ればまた社会に復帰できるのが当たり前の世の中になって欲しいです。病気の種類によって、これは人に言えるけどこれは駄目、などと考える世の中の方が間違っているのです。
コロナの人がどこにいるのかわからない世の中、これはいつか変わるでしょうか。