昨日までは穏やかに晴れていたのに夜中から雨が降り出し、今もまだ止む気配がありません。今日は我が家が住んでいる地域の秋祭りで、9年ぶりに山車が曳行されるはずでした。
本来山車曳きは3年に1度ですが、台風の接近、コロナ禍、そして東京オリンピックの影響で9年間も行われなかったのです。今日10月15日は、様々な地域でお祭りが開催されると聞いています。お祭りにかかわった方々の苦労を思うと、大変お気の毒です。
行けばそれなりに楽しいが、やはり納得できない
昨日は一応山車曳きが行われることを想定して準備を行いました。私はまたまた呼び出されて神社に行き、皆さんが使う鉢巻にアイロンをかけました。1時間、一心不乱にアイロンをかけるという経験はしたことがなかったため、結構新鮮で楽しかったです。
また、普段はなかなか会う機会のない人(長女の同級生のお母さん)に会うこともできたので、なんだかんだ言って楽しいひとときを過ごすことができました。
楽しみを見つけながらも、どうしても私はこう思わずにはいられませんでした。
夫は確かに囃子連に入ったけれど、私は入った覚えはない。なぜ、私が当然のように手伝わされているのだろう?もし、逆の立場なら夫は私を手伝うのだろうか?
私の他にも、「もういい加減に、手伝いに来いよ」と夫に言われたから来たと言っている女性がいましたが、なぜそんなことを言われなくてはならないのか、私にはわかりません。
囃子連は自治会の役員のように、どうしてもやらなくてはならないものではありません(まあ、自治会にしたところで強制ではありませんが)。多分私の夫も先程の女性の夫も、自分が好きで囃子連に加入したのです。
そのときに我が家の夫は「奥さんが手伝いをしなくてはならない場面があるから、そのときはよろしく」とお願いはしていないです。多分、他の方もそうだと思います。
私は前もって夫に「あなたが囃子連に加入するのはあなたの自由だけど、私は手伝いに行ったりするのが嫌。もし、そういう団体なら、加入しないでほしい」と言いました。夫の返事は「別にお前のことなんかあてにしていないから、手伝いの心配はしなくていいよ」というものだったのです。
中止になっても素直に喜べない
そんなこんなで複雑な思いを抱えながらのお手伝いでしたが、こうして当日雨が降ってみると、なんだか中途半端な気持ちです。
1日山車に付き添って歩くのは、気をつかうし身体も疲れるのでしんどいです(お祝いを受け取ったら、お返しを渡してお祝いをいただいたと知らせるために名前を山車の車体?に貼り出さなくてはいけないので、意外に忙しいし気を使うのです)。
決して自分から率先して山車に付き添いたいわけではありませんが、それでも終わったときに達成感はあるはずです。このように雨で中止と言われても、なんだか素直に面倒を免れたことを喜ぶ気持ちにはなれません。
もしかすると、今日本中で私のように複雑な思いをしている妻がたくさんいるのかもしれませんね。どうか世の中の夫の皆さんは、自分の妻が地域のお祭りを手伝って当たり前と思わないで欲しいです。もし逆の立場なら、自分は素直に妻の手伝いができるかどうかを考えてみてください。
それでも私が夫の言う通りにお祭りの手伝いをするのは、たまには夫の顔を立てようという気持ちがあるからです。それを夫がわかっているかと聞かれると、どうなんだろう?と思わずにはいられません。
やはりここはよく話し合って、お互いに遺恨を残さないようにするしかないようです。