今はドラマや映画が必要なときだと思う

ほろ苦い後味のドラマ 生活

また一人美しい俳優さんが亡くなりました。竹内結子さん、私は真田丸に出演していたのが印象的でした。いつもお茶目な感じの笑顔が素敵な女優さんだと思っていましたが、真田丸でのたまに見せる、冷たい顔がゾクッとさせる不思議な力を持って女性でした。

俳優に必要な能力とは

私たちがよく見かける俳優さんはかなり売れている人です。その人たちは美しい容姿に恵まれているだけではなく、とても周りを見る目があるのだと思います。

自分が人の眼にどう映るのか、仕草がどんな影響を与えるのが、鳥の目で上から眺められる能力を持っているのでしょう。でなければ、製作者や共演者が望む演技ができるはずがないし、それができなければ観客を喜ばせることもできないはずです。

ここのところいわゆる売れている俳優さんの死が続きましたが、その能力を使って彼や彼女は一体どんなことを見てしまったのか、と感じ、暗い気持ちになります。その能力を使って作ってもらったドラマや映画を見ることは、私たちにとって無上の楽しみです。

ドラマや映画を見た記憶が私たちを作っている

楽しみはあってもなくても良いものとして考えられるかもしれませんが、その楽しみで得た記憶が私たち一人ひとりを作ってくれるのだと思います。

懐かしいドラマの映像を見ると、そのときの空気まで思い出すような気がします。そしてそのときそのドラマを見ていなかったら、今の自分は少し違った人間だっただろうことが想像できるのです。

昔は今のように簡単にドラマや映画を楽しむことができませんでした。録画をすることができなかったころは、楽しみなドラマのためには万難を排するほどの覚悟が必要でした。

映画もロードショーを見逃すと、見られる可能性はほとんどありませんでした。ビデオレンタルができるようになってからも、新作の映画がビデオになるためにはかなり長い間待たされたものです。

それでも1度見ただけで長い間、心の奥に残っている映像はありました。私の場合なら「凍りつく夏(こんなドラマです)」での藤原竜也さん、「共犯者(こんなドラマです)」の三上博史さんと浅野温子さんなど、自分でもなぜだかわかりませんが、忘れられません。

私はこの俳優さんたちのファンではないのですが、忘れられないということは、これらの記憶が私の一部になっていて、もはや取れないないのではないかと思っています。だから私はドラマや映画を見た記憶が人間を作るのではないかと思っているわけです。

私がこれらのドラマを忘れられない理由を深堀りすると、私という人間がわかってくるのかもしれません。

今こそドラマや映画の力が必要だ

ドラマや映画といったものは、私たちに必要不可欠とまではいかないまでも(それは人によって必要度が違うからです)、あった方が良いことは確かです。コロナ禍で、ドラマや映画の撮影、公開がストップしたときに辛い思いをした人は多かったのではないでしょうか。

昨日最終回を迎えた「半沢直樹」もこれほど盛り上がったのは、ドラマや映画を渇望していた人たちが如何に多かったかという証拠でしょう。

これからの世の中、俳優さんたちにはどんどんドラマや映画を作って欲しいです。そしてそれらを取り込んで、人間の心が育っていくことを期待したいです。

俳優さんという仕事は華やかな職業だという面だけが強調されていますが、それだけではなく、必要だからこの世に存在しているのです。私たちが楽しみを失わないためにも、もうこんな悲しいことがないように願っています。

最後になりましたが、竹内結子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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